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自分を奮い立たせる意味あいもあり、この追悼を記してみました。

後藤新平が言ったとされる「金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。」からすると、広瀬さんはまさに上の人でした。

広瀬さんの功績は、残された我々がどれだけ頑張るかによって決まってくると思います。日本と日本スポーツ界の明るい未来を信じて、ぜひとも頑張りましょう!
中田がイタリアに渡った頃、広瀬さんとはよく仕事をした。今はYAHOOの傘下にあるスポナビは、もともと広瀬さんが発案したもので、スポナビのスタート時はうちも中田も株主の一員だった。私は広瀬さんが苦手だった。広瀬さんだって多分、動物的勘だけで仕事している私みたいな女はもっとも苦手な人種だったはず。広瀬さんの言っていることはいつも全て正解だった。でも人を相手にするアスリートマネジメントをしている私には、当時の彼の意見は机上の空論にしか思えなくて、ぶつかった事が多々あった。あれから20年が過ぎた。あの頃広瀬さんが描いていたスポーツの未来が私の目の前にある。さみしいよ。広瀬さん。合掌。
2004年、広瀬さんに出会わなければ、100%スポーツ業界で仕事をしている今の自分はいませんでした。
これまで、数えきれないほどのアドバイスをいただきました。正直、その時点ではピンとこなかった(=理解できなかった)アドバイスもいくつもありましたが、数年後、その通りの展開になる、あるいは、その意味がわかるようなことが何度もありました。とにかく、数年先を見据えていた方で、まさに我々にとっての道しるべ的な師匠でした。
"Your resume is my resume"(「お前らの実績が俺の履歴書だ」)を常々口にし、我々、教え子を鼓舞してくれていた広瀬さん。
これからは広瀬さんの遺志を受け継ぎ、これからも、よりよいスポーツ界にするためにGood Fellowといっしょに邁進していきます。そして、広瀬さんとの約束、果せるようにこれからも頑張っていきます。合掌。
京都サンガ2年目の2005年、同志社SMSに通いました。経営学研究科で学んだあとだったのでビジネス用語・概念は理解できましたが、広瀬さんの世界的視野、知識の連動性、何より本質的ものの見方に大変学ばせて頂きました。

講義後好例の懇親会にもほぼ毎回参加させてもらいましたが、その後京都駅近くで広瀬さん、中村さんとラーメンを食べる機会に恵まれました。確実に終電を逃す時間でしたが、こんなチャンスはないとご一緒させてもらいました。今思えば大変豪華なラーメンで、安いタクシー代でした。

新潟最後の仕事はこの時の同期2人をお招きしたスポーツビジネスセミナーでした。その時も広瀬さんの話をしていたのに・・・。改めて残念です。
弊社に入社してまもないころです。私はPRの仕事をやっていました。厚生省のプロジェクトをしているときに、運良く私のJust an ideaが認められて日本にプラティニを招聘することになりました。まだメールもなかった時代。深夜電話とfaxを駆使して快諾いただき、来日。日本のテレビや雑誌に一通り出演してもらいました●その後もご縁があってプラティニの引退の放送権と看板を売って欲しいとプラティニ側から頼まれました。私のいるセクションはそれを担当するところではなかった。そこで当時弊社でサッカー関係といえばこの人と言われていた広瀬さんのところに、私は素人なので代わり(というのもなんですが)に引き受けていただきたいとお願いに行きました●いろいろあって結果私がやることになったのですが、バナーのことや権利関係は何せど素人。広瀬さんは、ひとつひとつ丁寧に教えてくれました。結果日テレに放映権を買っていただき、日本のクライアントにも幾つかスポンサーとしてついていただきました。映像で、引退試合が行われたフランスNANCYの会場に日本企業のバナーを確認したときは、嬉しさと安堵で腰が抜けたのを覚えています●いまはかなりのサッカーフリークです。権利関係もクリエーターにしては詳しい方だと思います。すべては広瀬さんのご指導の賜物だと感謝しています●亡くなられる2日前のfacebookのポストでも、日本のスポーツ界を心配されていたなあ。広瀬さんらしいです。天国でもみんなを指導しているのかなあ。たまには休んで静岡の美味しいお酒を飲んでくださいね。

岡部さん、本当にありがとうございます。
2005年同志社のSMSに通いました。福田拓哉さんと同期になります。当時トヨタ自動車に勤めていた事もあり、講義の中でトヨタの話が出ると真っ先に挙手を求めるアイコンタクトが来ていました。「お前、わかってるよな」と。

心の中で決めかけていた長崎行きの最後の背中を押してくれたのは広瀬さんとその時の同期です。出会いがなければもしかしたら今のV・ファーレン長崎は存在しなかったかもしれません。

「みんな俺を利用して使い倒せよ」実は私が一番恩恵に預かった一人かもしれません。サガン鳥栖、埼玉西武ライオンズで働く事が出来たのは広瀬さんのおかげでした。広瀬さんの顔に泥を塗らないよう精一杯働いたので、自分で定めた黒字化という成果をどちらも残す事が出来ました。2009年の夏、長崎セインツ前期優勝の一面記事をお見せしたら「マネジメントがしっかりしたらフィールドも結果を出すんだよな」と嬉しそうに話していただいた事を今でも覚えています。当時辛いことも沢山あったのですが、あの時師に少しだけ認めていただいた事が間違いなく自分の財産になっています。

今のビジネスで起業する時も相談に行きました。喜んでくれると思ったのですが、甘かった。「9割方わかったが、1割まだしっくりこない。だから賛同しない」と。

これからはその1割をwant(欠乏感)として埋めていきます。
まだぼんやりして感情の整理が出来ていませんが、前を向いて精進したいと思います。

岡部さん、ありがとうございました。
広瀬さんとはお話したことがありませんが、著書はほとんど読ませて頂きました。数十年も前から欧米のスポーツビジネスから多くの示唆を得て、日本のスポーツ会への的確な提言をなされていたことは本当に頭が上がらないことだと思っています。ただそうした提言がありながらも、日本のスポーツ会がなかなか変革しきれてなかった原因は何なのか、そのあたりにしっかり向き合って次の時代へ向けて行動を起こすことが、広瀬さんという偉大な方への最大の恩返しになると、勝手ながら思っております。
これは良い話。岡部さんの気持ちが伝わってくるよう。記事より抜粋。「今始めるんですか、それとも10年待って他の皆と一緒にヨーイドンするんですか?」
亡くなった?存じ上げなかった。経済産業研究所の同僚で、互いにオフィスも近かったので、ジャンルは違えど共に未来を語っていたんですが。残念、合掌。
広瀬さんが力を入れていた「スポーツマンシップ教育」には、私も多くの気付きをもらいました。
スポーツマンシップって、どういうこと?
この問いに即答できる人を増やすことがスポーツビジネスの価値を高めることに繋がると思っています。
この連載について
欧州サッカー最前線で活躍する2人のリレーコラム。アジア出身者として初のCL&W杯制覇を成し遂げた永里優季とTEAMマーケティングの岡部恭英が、ピッチ、ビジネスの現場で感じたことを綴る。