シリコンバレーのエンジニアが語る、誰にも悪気はなかった話
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The Prizeという、FBのマーク・ザッカーバーグが貧困地域の教育問題解決に100億円を投じていかにそれが水の泡になったかという経緯を書いた本の要約。
原著は流し読みしたけど、邦訳は出版されていないはずだからとても貴重でありがたい。
日本の例も挙げて書かれていてとても面白かった。
改革が利権に阻まれてうまく進まない感じが具体的に書かれているので仕組みがとてもよくわかる。
素晴らしいシステムや優れたスキルはなんでもスマートに解決してくれそうに思えてしまうけど、常にそれが本当に課題の解決に有効な手段なのか、本質的にどうやって何を解決したいのか、考え抜いていなければ何の価値もなくなってしまう。
なんでも賢く解決しようとせず、泥臭く目の前の課題と格闘する姿勢を忘れないようにしようと思った。
注目のコメント
上杉さんの記事はいつも本当に面白い。日本人によくわかるように背景から説明してくれるので、スッと頭に入ってくる。
長いのは仕方ない。読む価値はある。
それにしても、北米自動車メーカーが破綻していくときにも問題になった先任者優遇措置は北米の教育界でも跋扈してるのね…
割とよく聞く話で、リストラの続く北米の大手メーカーでも「なんで、こんなおじいちゃんがまだ働いていて、あの若い優秀なエンジニアが退職してしまうんだろう」と思うことは結構ある。
雇用や給与、福利厚生既得権保護にかけてはアメリカの方が手強く、企業も苦慮してるのだろうなあ、と感じる。法制化をうまくやってるところをみると、労働者のロビイング活動が上手なんだろうな、日本に比べて。少し長いけど、とても素晴らしいBlogだった
印象に残ったのはここ
時間がかかること、時間をかけることについて無理解、無頓着が不幸を招くこともある
>フィンランドでは、教育レベルが低迷していた1970年代から、20以上の政権が生まれ、約30人が教育大臣を務めた。だが、全政権・全教育大臣が「『公』教育の質を『底上げ』しよう」と目線を合わせ、教育行政の方向性が安定していた。「私立と競争させよう」とか「トップの生徒を伸ばそう」といった考えに、だれも浮気することはなかったのだ。
教育を変えるには時間がかかるということを、フィンランドは政治と行政レベルで理解していた。世論に揺さぶられて「ゆとり」と「詰め込み」を行ったり来たりし、英語教育やICT化で右往左往する日本の教育行政とは大違いである。