数学的センスは日常生活の中で身に付ける
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注目のコメント
この辺のことは、自信がある。10年前に出した「小3までに育てたい算数脳(健康ジャーナル社)」に書いたことを超えるモノに出会ったことはない。
①「見える力(補助線や立体の裏側やアイデアという、見えないものが見える力)」と②「詰める力(論理力・要約力・精読力・最後までやりとげる意志力)」の2つに分けて、入試問題と照らし合わせる形で説明した。のちに「別解などを楽しんだり、間違っていたらサッと離れて別の視点に移れる柔軟性」にも注目して第三の力「あそぶ力」として、「本当に頭の良い子の育て方(ダイヤモンド社)」にまとめた。
つまりは、思考力がある人とない人の差は、こういう基礎能力であって、遺伝も無視はできないが、その子なりに伸ばすとしたら「生活と遊び」の中にある、と書いた。
牧田先生の「視座」と「論理」は、かなり近いかもしれない。
で、それは土台の能力で、数字センスは、思春期に出会う先生の「筋の良さ」の影響も大きい。具体的には、栄光学園中学高校の井本先生や、THINK THINKの川島慶のような先生と出会えると、数学への興味もビジョンも、大きく違ってくるだろう。物の数、重さ、大きさは、算数と物理。
現代数学の本質はむしろ代数学に見られるような形式主義的な抽象化および構造解析で、物理的実在のパターン認識のことを数学的センスなどと考えて、「なにがうれしいの?」などと呑気なことを言っている所は読んでいて悲しくなる。
「受験数学」の問題を解くときの大局観は、まさに問題の場数(それも理解して解く)をどれだけ踏んでいるかで決まるので、幼少期のこんな経験値は殆ど関係ないと思う。将棋も同じ。
大きい/小さいの流れでなぜ東大の円周率3.05問題になるのかさっぱりわからない(追記: 実はわかる。単にこの教育すれば東大に行けるかもという期待を持たせたいだけ)。
発想力もあるが、どちらかというと、この問題は円周率計算の歴史や、積分の仕組みの知識を聞いていて、それがなければ一から考えるのは試験時間内では難しい。
数学の教科書にコラム的に載っている、アルキメデスが内接および外接する正96角形の辺との比から「任意の円の周はその直径の3倍よりも大きく、その超過分は直径の1/7よりは小さく、10/71よりは大きい(3.1408...<π<3.1428...)」と述べている史実を知っていれば、正多角形で攻めようという発想はすぐにでる。
内接正六角形だとπ>3はすぐにわかるので、その次に細かくて計算しやすい内接正八角形か正十二角形でやれば多分3.05くらいは行きそうと読める。
この発想が、物の大きさのパターン認識訓練から出てくるとは私には到底思えません。
なお、三角関数のマクローリン型不等式の一つcosx≧1-(x^2)/2にπ/6とか代入すればすぐに解けます。問題を解くときの大体の方向性をつかむ感覚、分かるのですが、コメントされている方もいるように、大学受験レベルの数学だと、単純に場数を踏むことによる問題解法のカテゴライズ能力な気がします。そこに、ここでの大きさ比較能力なんかがどれくらい関係しているのかは分からないですが。
息子が算数の問題を解いているのを見ると、なぜ引き算後にデカくなる!?ということがあったりはするので、そのへんは関係しているのかもしれませんが。