人の名前を覚えられない人は、抽象的な世界に生きている人かもしれない - べーシック人事・HRブログ
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注目のコメント
星新一のように、登場人物が「S氏」「F博士」とかなら助かるんですが。名前覚えられなかったせいで28歳くらいまで小説は読めませんでした。
その後、ノートを取りながら読むと言うことを覚えてなんとか読破し、何を覚えなくていいかについて次第にわかるようになってから、読めるように。
歴史も似たようなエピソードの繰り返しで細部に興味が持てず。旅行も似たような人々の営みの歴史がそれぞれの土地にあるだけで全く興味が持てませんでした。人間も似たような個体がたくさんいるだけなので、動物に興味が行きました。英語や他の言語も似たようなものと思うとやる気がでず。勉強して慣れてくるともとの世界が壊れてくるので一定のレベル以上語学勉強するのは頭が拒否しました。
たた、最近やっと細部の良さがわかるようになって来ましたね。
こう言うタイプのことを指すのかも知れませんが、自分の感覚では特に抽象的な世界に生きていると言う感覚はあまりないです。というか抽象的な世界に生きていない人などいないと思います。至極納得。興味がないというより、それ自体に意味が持てないと記憶する価値無しとして切り捨ててる気がする。なので名前にイメージを紐付けると覚えられますね。
やる意義に同意してるものとしてないものとでアウトプットの質に天と地ほどの差が出ることは至極当然なことなのかもしれません。
人生の時間は無限じゃないから、自分の人生に貢献しない事をやる意義ないと開き直ってみます(笑)
もっとも目の前の具象から重要なできごとをピックアップして「空気を読む」行為などもひとつの抽象。ガシガシ分析的にモデル化するのも抽象。ここで言われている「抽象的」というのは「ぼんやりした」ぐらいの意味なのかもしれませんが。