ボブ・ディラン、ノーベル賞晩餐会で代読されたスピーチ全文
BARKS
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注目のコメント
カッコ良い。「自分の歌は文学なのかという問い掛けを考える時間と素晴らしい答えを出してくれたスウェーデンアカデミーに感謝。」
日経の方が読み易い全文翻訳です。
http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXLAS0040006_R11C16A2000000メディアが勝手に作り上げた偶像のイメージに則っての、ここ一連の「態度が悪い」とか「ディランらしくない」とかの批判はあたっていないのだと言うことが、この上なく良く分かるコメントかと思います。ディランは多くの人が共感する喜びや不安や怒りを歌にすることでその支持を得てきたように、多くの人が名誉に感じ喜ぶことを喜ぶ、ごくごく普通の感覚の持ち主なのです。これを機に、ディランに対する正しい理解が広く浸透することを期待します。それにしても、ごく普通の感覚の持ち主である彼が、こんなにも名誉に感じるノーベル賞の授賞式を袖にした「先約」とは一体何だったのが、気になるところではあります。
ボブ・ディランは、シェイクスピアは劇作家だつだと述べているが、その通りですね。言葉は音声で表現されていたのです。吟遊詩人もしかり。平家物語の琵琶法師もしかり。明治時代初期まで日本の文学は音読でした。論語も声を出して集団で音読していた。黙読が始まったのは、漱石・鴎外の作品あたりからです。近代的個人とか自我などが黙読の始まりになります。ボブ・ディランの受賞は文学の伝統に背馳しません。ノーベル賞選考委員は近代の文学の枠組み、固定観念による閉塞感を超え伝統の叡智と未来を繋げようと試みたものと推察します。