やればできる。猛勉強してコンプレックスが消えた
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以前サンダーバードの同窓会で玉塚さんが登壇される姿を目にしました。
写真のような明るい笑顔でメッセージを発したのちに、最後に一言
「今から一番大切なことを言います。 みなさまポンタカードをよろしく!」
この清々しい笑顔とエネルギー、魅力にやられて帰り際にローソンでポンタカードを作ってしまいました(笑)
注目のコメント
僕は、一日12時間の勉強を365日継続するという猛勉強の日々を浪人時代に送り、現在の大学に入りました。(今ではもっと効率良くやれたな、と思いますし一日何時間と決めていたのも何か違うと感じます笑)
ところが、入学した学科にはほとんど座学がありませんでした。事前に学科のことをよく調べないという失態をおかした僕は面をくらい、座学の少なさを言い訳に勉強をしなくなります。
元々、理系ではあるものの文系チックだし世の中のことを広く知れるのでないか、という仮説のもと建築学科を専攻したのですが、違うとわかったのは入学後でした。普通仮説の検証は、方向転換の容易な受験前に色々調べてするべきですよね笑
結局、前述したように就活期までろくに勉強もせずサークルに走る、という典型的なパターンになりましたが、今思うと大学というものを誤解していたのがそもそもの元凶でした。
それまでの小中高のように、教えるのに長けている人がいて、受け身でも学べるのが教育機関だと思っていた僕は大学にもそれを求めていました。
しかし、それは違いました。
大学は自ら学ぼうとしない者に勉強を授けるところではありません。
自分でそれを強く希求し考え、自らの手でそれを掴みにいく者に、大学での学問は授けられるのです。
最近、それに気がつきました。就活期にふと、自分の学生生活を振り返り何も勉強していないな、と感じた時でした。
学ぼうとする姿勢を保てなかった自分、学んでいない自分を恥ずかしく思い、その時から本を読んだり、NPを始めてみたり、自ら主体的に学ぼうとしてみました。
今少しずつですが、浪人時代の勉強熱が戻ってきているのを感じます。やはり、わかるようになる、ということは楽しいです。もっと学びたい。
ただ、来年からは社会人です。これは自分の選択したことなので仕方のないことです。
しかし、玉塚さんのお話を聞き、学ぶ場はいつでも、いつまでも自分の目の前に広がっているということを知りました。社会人になっても、です。
自分がそれを求め、自らの手で掴み取れるか。玉塚さんのように、質問をし続けられるのか。
これが本当に大切なことなのだと思います。これが学ぶということなのだと思います。
駄文、長文失礼致しました。
素晴らしいお話を本当にありがとうございました。玉塚さんほど、「社員に向けて自分の言葉で思いを語る」事が出来る経営者を、僕は知らない。玉塚さんの思いは、言葉だけでなく、本当に思っているんだと感じさせる何かを醸し出してくる。そのスタイルは、天性よりはそうなりたいと目指して努力していた事に大きな意味がある。