「Nの時代」が終わり、「G」と「L」が協調していく
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相変わらず斎藤某がアホなこと言ってて笑った。まあそれはそれとして、サピエンス全史って本を最近読んだ。ホモ・サピエンスがなぜ他の人類が絶滅したのに繁栄したのか。それはフィクションを作る能力があったから。だから数億というオーダーで協調することが可能であるという話。その最たるものが貨幣、帝国、そして宗教。その本を読むと頭が柔らかくなって斎藤某みたいな凝り固まった考えから脱却できます
『資本主義と自由』の中でミルトン・フリードマンは、 自由社会においても政府は重要な役割を担うと述べています。しかし、その例として挙げられている高速道路の整備運営についてはETCの普及により料金徴収コストが劇的に減少しており、また通貨制度の整備に関してはビットコインのような非中央集権型の仕組みが出てきていることを思うと、テクノロジーの進展に伴ってNの役割が相対的に減るのは必然でしょう。
この点、Gの構成要素であるグローバル企業がNの機能を一部代替・補完するのかもしれません。文中で触れられているアマゾンのような利益を出さない経営の在り方は、突き詰めて考えると、企業というよりも新しい形の宗教であるように感じます。国家もフィクション、会社もフィクション。
でも、人間はそのフィクションに愛着も感じれば、憎みもするし、フィクションに殺されてしまう人もいるもの
グローバル企業が国家を超えて存在し、一部の機能も代替していくというのはそうなきがしますが、冨山さんの「L」とは違う意味で言葉を使っているので読む人は注意が必要です
如何に地方にあろうと、グローバル経済圏で動いていればそれはGなわけで、地方に居てもテクノロジーでGで戦える可能性が出来てきたというのはその通りですが、「L」というのはその定義からグローバル経済とは断絶されているということでありどういう国でも経済の大部分はそういう人たち、というのが冨山論の一番重要なところ。なので、この定義に従って読むと混乱しますのでご注意を