ジョブズを翻弄したジョン・スカリーとは何者か
2016/08/30
アップルのCEOは、約40年の歴史の中で7人いる。その中で、スティーブ・ジョブズに引き抜かれてCEOに就き、後にジョブズを“追放した”男がいる。3代目CEO、ジョン・スカリーである。熱狂的なファンが多いジョブズを追いやったことで、そのイメージは良いとは言えないかもしれない。果たして彼はどんな人物なのか。
ジョブズに次ぐ在任期間
2017年に創業40周年を迎えるアップルには、現任のティム・クックを含めて7人のCEOが存在する。創業者のスティーブ・ジョブズの印象が強すぎるため、ほかのCEOの名前や功績を知っている人は少ないだろう。
ジョン・スカリーは、1983年から1993年までの約10年間、CEOを務めた。在任期間はジョブズの約20年に次いで歴代のCEOの中で2番目の長さだ。
スカリーがCEOに就任したきっかけは、ジョブズからのラブコールだった。当時ペプシコーラの社長を務め、マイケル・ジャクソンをテレビCMに起用するなど、斬新なマーケティング戦略で業績を伸ばしていたスカリーの手腕を買ったジョブズが引き抜いたのだ。「このまま一生砂糖水を売り続けたいのか、それとも私と一緒に世界を変えたいのか」と迫って口説き落としたというエピソードは有名だ。
ジョブズ、そしてアップルの共同設立者であるスティーブ・ウォズニアックは製品開発を得意にする技術屋である。1980年の株式公開後のアップルを飛躍的に成長させるために「商売のプロ」として、ジョブズはスカリーに期待した。ジョブズとスカリーのタッグによって大々的に発表されたのが、初代「Macintosh」(1984年)で新たなコンピュータが描いた姿に世界が湧いた。
しかし、業績が低迷したことで2人の間に確執が生まれ、スカリーはその根源がジョブズにあると、アップルからジョブズを追い出すことを決断。取締役会の合意を取り付け、ジョブズをアップルから解雇した。CEO就任から2年後の1985年のことである。
合計10年もの間、CEOを務めたにも関わらず「ジョブズ追放の画策者」という面ばかりが取り上げられ、その人物像はあまり語られない。スカリーとはどんな人物なのか。1992年から2000年のアップルに在籍しスカリーを含めて4人のCEOに仕え、アップルのマーケティング本部長を務めていた米エバーノートの外村仁氏(現在シリコンバレー在住)に話を聞いた。
東海岸から来た異能
──スカリーは、どんな人柄ですか。
外村:スカリーは“東海岸から西海岸に移り住んだ”人間。カジュアルでフレンドリーなシリコンバレー的雰囲気というよりも、エクゼクティブルームにいて指示を出すようなタイプでした。西海岸のアップル、ラフなジョブズとはキャラクターが違いました。
──「ジョブズを追放した人」というイメージが強いですが……。
熱狂的なジョブズファンが多いからでしょう。アップルを追われた後のジョブズはスカリーを酷評し続けましたから、世間がそう思うのも無理はないと思います。
それに、スカリーは技術畑出身ではないマーケターなのに、実はCEOと同時にCTOを名乗っていた時期があるのです。「テクノロジーを知らないくせに身の程知らずが!」と、エンジニアからは反感をかっていた部分もありました。
ただ、私はスカリーの大きな功績として忘れてはいけないものが一つあると思っています。
iPhoneの前身とも言える先進的ビジョン
──その理由は何ですか。
スカリーが示した未来のコンピュータ業界のビジョンです。「Knowledge Navigator(ナレッジ ナビゲーター)」というビデオをご覧になったことはありますか? 今から20年前の1987年にスカリーが発表した、コンピュータが人をサポートする未来の姿を示したビジョンです。このビジョンが素晴らしかった。先進的で人をワクワクさせる内容が詰まっていました。
今で言うと、人工知能(AI)を搭載したタブレットのようなデバイスが秘書のように人をサポートする世界を描いています。そのビジョンをわかりやすく表したビデオが数本制作され、今は「YouTube」で検索すれば見ることができますよ。
そのビデオを見てもらえれば、スカリーの先進性に触れることができると思います。本に似たコンピュータを開くと、執事の格好をした、いまで言うエージェントと対話をすることができて、届いたメールの件数やその内容を読んでくれたり、スケジュールを教えてくれたりする。
欲しい情報やデータを問いかければ最適なものを探して表示してくれる。操作や手書き入力も可能で、テレビ会議の間もずっと仲介してアシストしてくれます。
インターネットもノートPCも携帯電話もまだ登場していない時代、AIなんて誰も関心を示していない頃に、スカリーはパーソナルコンピュータのこんな進化を思い描き、それを世の中に提示したのです。その当時に広報やマーケティングを担当していた私は、このナレッジナビゲーターのビデオを何回再生したかわからないくらい記者やユーザーに見せていました。
時代が追いついていなかった
──それなのに、なぜスカリーもナレッジナビゲーターも注目を集めなかったのでしょうか。
ナレッジナビゲーターはあくまでビジョンですので、それを具現化するための製品がまだ当時になかった。「すごい世界が待っている!」と思わせた一方で、「実現なんて不可能な絵空事」という声もありました。技術屋ではないスカリーが発表したものだから、なおさらそうだったのかもしれません。
スカリーはそのビジョンを現実にするために「Newton(ニュートン)」というプロジェクトを推進しました。それが、世界初のPDA(Personal Digital Assistant)と言われる「アップル・ニュートン」です。
これもコンセプトは素晴らしかったが、処理能力や電池の持ち時間、大きすぎる筐体など、テクノロジーが追いついていなかったし、無線ネットワークもまだついてなかったので、一般のユーザーにとっては中途半端なものでした。実はその後、地道に改良されて、だんだんと良くなっていったのですが、スカリーは業績が低迷したことを理由にCEOを退任してしまいます。
その後、ジョブズが復帰して、スカリー時代のプロジェクトの多くが潰されてしまいます。ニュートンチームも解散になりました。だから、みなさんの記憶には残っていないのかもしれません。
ナレッジナビゲーターが描いた世界は24年後、2011年の姿でした。アップルが2011年に提供を開始したのは「iPhone 4s」。自然言語処理アプリケーションの「Siri」を初搭載した時期です。スカリーが描いた未来の一部を、ジョブズが具現化したとも言えますね。
ナレッジナビゲーターもニュートンも、スカリーがゼロから考案したものではないでしょう。しかし、社内にそうしたアイデアや技術があって、それに可能性を見出して表舞台に引っ張り上げ、得意のマーケティング能力で世間に広く知らしめたのがスカリーなわけです。
スカリーは、テクノロジストではありませんでした。ですが、テクノロジーを使った新たな世界をつくり出そうとするビジョナリストですし、そのビジョンを、聞き手がワクワクするように語ることができた生粋のマーケターです。彼の当時の見識や功績はいまのAIや新しい働き方の時代にあって、もう一度高く評価されていいのではないかと私は思っています。(文中敬称略)
*ジョン・スカリー氏はアップルを去った後、その卓越したビジョンをもとにベンチャーキャピタリストとして多くのスタートアップを発掘し成功に導きました。今、日本のビジネスパーソンに向けてどのようなメッセージを送るのか。「COMPANY Forum 2016」は、スカリー氏のビジョンを直接聞くことができる数少ない機会です。講演日時は9月29日(木)9:30-11:45で、参加費無料(事前登録制)ですので、こちらでお申し込みください(応募者多数の場合は、抽選とさせていただきます)。
本講演はワークスアプリケーションズが主催するイベント「COMPANY Forum 2016」のセッションのひとつです。「COMPANY Forum 2016」ではスカリー氏のほか、人工知能(AI)の世界最高権威者であり発明家のレイ・カーツワイル氏や元大阪府知事の橋下徹氏などが登壇します。イベントの概要や見どころは、こちらをご覧ください。