広島への原爆投下を悔やんだ米兵、哲学者がみつけた「人間の良心」
BuzzFeed
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ネジの話で思い出したことを。
ドイツに旅した時、ホロコースト記念碑がブランデンブルク門の真横、議会・政府地区の中に置かれていることに驚いて、ドイツ人に「どうしてこんな場所に苦い歴史のモニュメントを置いたのですか?」と聞いたことがあります。
「それはね、ヒトラーだけが悪かったのだという言い訳をドイツがしないためだよ。私達の父や祖父も命令を受けただけ。そうなんだけれど、ドイツ人が彼を選び、おかしくなっていくドイツを止めることもできず、いつの間にか大きな過ちに手を貸していたんだ。それを忘れないために、いつでも思い出せるようにここに置く。ドイツは強いからね。黒い歴史を背負う強さを持っていると思っているよ。」
それにしても石戸さん、オバマ大統領の広島訪問時に原爆ドームと記念碑の記事を建築家に遡って書くなど、本当に魂のこもった記事を描かれて、毎度圧倒されます。自分の罪に罰を与えるのは、結局のところ自分自身なのだが、それが出来るからこそ人なのだ。
これから多くの社会活動がロボット化される流れの中で、人が失ってはいけない能力は、合理的でなくとも、スピードがなくとも、疑問を感じ、迷い続けることなのだと思う。大事なのは、メカニズムのせいにして自分の行為を免罪することではない。メカニズムの中で「いかなる場合に、どの範囲まで」協力すべきなのかを問うことにある。ネジならネジとして、自分の行為として苦悩し、責任を負おうとすることだ。
これは、同調圧力が強い日本社会で特に考えるべきことだと思う。