あなどれない「手書き」の学習効果
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実感にも合う研究結果。
インフルエンザの社内予防接種の日程の通知書に、手書きで自分が接種する時間を書かせると、接種率が上がったという行動経済学で有名な研究があります。自分で書くという行為が、記憶とコミットメントにつながるようです。なんだかなー、この実験結果を否定するわけじゃないけど、日本って無駄に手書き重視なところがあると思う。娘の出生届を出したときに、領事館の人に遠まわしに字が汚いと言われて(「崩さずに書いてください」といわれた…)、じゃあそもそもなんで手書きじゃなきゃいけないんだよー、って思った。
授業にしても、どうかなー、僕自身は手書きでノートをとる意味をそこまで感じないけどな。配布資料を全部配ってくれて、授業中は先生の言っていることをよく聞けるほうが理解できると思った。僕は書きながら聞けないシングルタスクの人間なので。
あとは、僕は字が汚すぎて、手書きでノートをとっても自分の字が読めないことが頻繁にあるという問題もある。が、アメリカに来て自分より字が汚い人だらけなので居心地がよい。(良いにつけ悪いにつけ、字をきれいに書くのが美徳、という考えがない。)単なる速記録ならキーボードだろうが、私は、単にINPUTだけでなく、書きながら、アタマで議論して、絵や図や表にして、印象を記す。図表や絵を描くのは、キーボードやタッチでは無理。
工場見学では、そもそも、CRに、PCなど持ち込めない。
私のブログで、一部、公開しているが、工場のラインの配置をメモ。
生産の流れ、機械の絵などを、メモ、絵にして、それから、キャパを試算、なぜ、そういう配置やフローになるかを考えて、あとで工場長と議論する。そうしないと理解できない。
文章では、構造を理解できない。だから図面がある。両方をやるには、やはり手書きが一番。また、話を内容を自分なりに図表にしないと理解できない。
年をとると、また、こういう作業をしないと忘れる。
書いて、まとめて、人に話して、理解も深まり、忘れない。