なぜ日本の男は苦しいのか? 女性装の東大教授が明かす、この国の「病理の正体」
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優秀な人ほど、立場を守り続けることができるので、返って苦しいのかなと思いました。
今の私には守るべき立場などないので、気が楽です。
それとも、あらゆる人にとって守るべき立場など無くて、立場を守れる人ほど、守るべき、という思い込みに苦しめられているというべきでしょうか。
注目のコメント
アメリカ人コンサルタントが書いた『女装して、一年間暮らしてみました。』という本があるのですが、この中で、以下のような、アメリカのマッチョな男社会に対する痛烈な批判が書いてありました。
「常にほかの人よりも気の利いたコメントを発し、機知に富む(あるいはそう聞こえる)ジョークを飛ばさなければならない。誰もが実際以上に自分を大きく見せようと必死だ。そういう男たちを見るたびに僕は「痛々しい」と感じていた。腐った友情を捨てられない男や、自分と違う意見をもつ相手はこてんぱんにやっつけなければ気がすまないやつらも同類だ。そんな連中とは距離を置きたいと願うようになっていた。」
とにかく、自分の服装によって相手の対応が目まぐるしく変わり、長年の友人関係さえも変化する様を、面白おかしく記述しています。
「立場」というのは日本社会に限らないのではないかと思います。「会社員としての立場」というのに過度にこだわるのが日本人の特徴ではありますが。これが、安冨氏の言う「ホモマゾ社会」というのとリンクしているのだと思います。「この国の病理の正体」というほど大げさなことではなくて、心あるサラリーマンなら大概の人は気が付いているとは思いますが。
東洋経済オンラインで、冨山和彦氏が、『不正会計への道は「善意」で舗装されている まじめな日本企業が陥る「本土決戦」思考』というインタビュー記事を載せていましたが、これも同根なのだろうと思います。
自分自身には女装の指向はないのですが、会社を何度か辞めてその度に人間関係を観察してみると、誰がこちらの肩書き(立場)だけを見ている人で誰がそうではないのかが、手を取るように分かって興味深いです。ある意味で、時々立場を変えて、そうした人間関係の断捨離をしてみるのも、自分が立場にとらわれて自分自身を見失ってしまうのを避ける良い手段だと思うようになりました。「高い高い断崖絶壁の上を走るレールを、ひたすら一人で登り続けているようなもの。レールを太くて頑丈にすればするほど、どんどんそこから外れることができなくなる」。文中では東大教授のことをこのように表現していますが、マッキンゼーやファンドでの出世争いも同じイメージ。どう考えても性に合っていなかったから独立してよかった。