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名波浩監督インタビュー(第4回)

【名波浩】監督は戦術だけでなく、周囲を巻き込む力が必要

2016/1/21
名波浩は2014年9月に古巣・ジュビロ磐田の監督に就任し、昨季J2で2位になってJ1復帰を果たした。43歳の若き指揮官へのインタビューの最終回。
第1回:若き指揮官・名波浩は弱体化した名門をいかに再生したか
第2回:ラスト2割の詰めが甘いチームは勝てない
第3回:選手が自主的に繰り返したミーティングが流れを変えた

全選手31人と毎日必ず会話する

──監督がS級ライセンスを受講していた頃、もし監督になったら、どんなときもコミュ二ケーションをしっかり取れるような指導者でいたい、と話していたのを覚えています。

名波:その通りやっていたと思う。1日に31人の選手全員に声をかけようと思っていたし、プラス、状況が悪い選手、パフォーマンスなのかコンディションなのか、もちろんそこはマメに見て声をかけたつもりです。

レギュラーを外す際は、必ず声をかけ、どこが悪い、こうしないと出れないぞ、とか、お前は代えた相手よりもここが上回っている、だから長所をもっと全面的に出していこうよ、とか、足りないものは自分で補っていかなければならない、と伝えました。

──ご自身の経験が生きている。

そう。特にレギュラーとして出ていて代えられたらもちろん、カッと頭に血が上る。でも、自分の何が悪いか、選手は冷静には判断できないものだから。客観視できない部分を冷静に、今はこういう状況だ、これは固定観念で言っているわけではないと、ちゃんと分析して伝えてあげる。この作業はこまめに。

一対一の対話で個人を活性化

──個別ミーティングも?

監督室に呼んで一対一で。こちらが呼ぶのではなくて、選手からの要望も何回もあった。

──ちょっと話したいんですと。

(FWのブラジル人)アダイウトンは本当に積極的。あの選手はこう言うが、オレはこうしたい、落としどころはどこだ? とか。

名波は、ここまで帰って来いというが、自分はここまでにしたい、どう思う? とかね。ジェイ(イングランド)もそうだった。アダイウトンとGKのカミンスキー(ポーランド)は負けていようが、自分の調子が悪かろうがまったくブレない。外国選手の振る舞いにも本当に教えられた。

名波浩(ななみ・ひろし)1972年静岡県出身。順天堂大学卒業にジュビロ磐田に入団すると、左足からのゲームメイクで攻撃陣をリードし、1997年にJリーグ年間優勝を達成。日本代表でも中心となり、W杯初出場に貢献。1998年フランス大会では背番号10をつけた。99-00シーズンのイタリア・セリエAのヴェネツィア挑戦を経て、磐田に戻ると2002年にJリーグ初の前期・後期完全制覇。その後、セレッソ大阪、東京ヴェルディを経て、2008年に磐田で現役を引退。2012年に日本サッカー協会公認のS級ライセンスを取得し、2014年9月にJ2で苦しむ磐田の監督に抜てきされた。そのシーズンはプレーオフ準決勝で山形に敗れて昇格を逃したが、2015年にJ2の年間2位となり、J1への昇格を果たした

名波 浩(ななみ・ひろし)
1972年静岡県出身。順天堂大学卒業にジュビロ磐田に入団すると、左足からのゲームメイクで攻撃陣をリードし、1997年にJリーグ年間優勝を達成。日本代表でも中心となり、W杯初出場に貢献。1998年フランス大会では背番号10をつけた。99-00シーズンのイタリア・セリエAのヴェネツィア挑戦を経て、磐田に戻ると2002年にJリーグ初の前期・後期完全制覇。その後、セレッソ大阪、東京ヴェルディを経て、2008年に磐田で現役を引退。2012年に日本サッカー協会公認のS級ライセンスを取得し、2014年9月にJ2で苦しむ磐田の監督に抜てきされた。そのシーズンはプレーオフ準決勝で山形に敗れて昇格を逃したが、2015年にJ2の年間2位となり、J1への昇格を果たした

心の波を会話でコントロール

──新人監督ではありましたが、コミュニケーションを何より優先するとしていた信念を、徹底して貫いたように見えます。

家庭で何かあるかもしれない、彼女とケンカでもしたのかもしれない。もしかしたら、新しい車をぶつけてしまったとか……いろんな不安があって、もちろんポジティブな要素の場合もあるんだろうけれど、その心の波は、会話以外でコントロールしてあげるのはなかなか難しい。

──選手がいつでも監督室をノックできるような雰囲気づくりをした。

それは選手に言っていた。何かわからない点や、たとえば練習がつまらなかったら、「つまんない」と言ってこいとね。「今日はつまらなかった」と言われた練習も何度かある。

クラブ側が選手に遠慮していた

──クラブとサポーターも、選手がピッチで結果を出すために欠かすことのできない存在ですね。

就任当時のバラバラ感とは、サポーターと選手、選手と現場スタッフ、スタッフとクラブ、すべてにあてはまったと思う。

──どんな点が気になりました?

クラブサイドが、選手に気を使い過ぎている。選手をイベントや地域との交流に起用するのに二の足を踏んで、そこのシャッターを自分たちから閉めてしまっているように見えた。

オレはそんな配慮は必要ないと思う。選手がもしも協力できることがあればクラブのために全部やらなければいけない。それを含めてプロのサラリーだという話でしょ。

だから、遠慮や二の足なんて踏まず、まずはこちらに投げかけてくれと。クラブと選手の強い連帯感も再生しなくてはいけない詰めの2割の部分だから。

監督自ら営業に走った

──監督自身がクラブサイドにも?

全部大っぴらにした。できないことはできないと言えばいい。だから、できる努力から地道にコツコツと。

自分でスポンサーを営業担当と一緒にどんどん回ったり、地域での子どもたちとの交流はどうなっている? と聞いたり、各部署が閉じてしまったように見えたシャッターを上げていった。

監督は戦術だけでは勝てない

──監督の営業の効果は?

数字はともかく、地元企業はもちろん、学校の先生や子どもたちも喜んでくれるようになった、とは感じられた。一斉観戦といって6月6日の金沢戦には、磐田市内3000人の小5、6年生が集まって、皆テンションが上がり、選手は相当燃えていた。

同点にされたら、子どもたちが「ジュビ〜ロいわたぁ!」と、ものすごい大きな声援を送ってくれた。選手も自分も泣きそうになっちゃって。

──選手だけではなく、クラブも少しずつ変化しているようですね。

サポーター、地域やスタジアムにも一体感を取り戻すためにできる限りの努力はしなければ。人が振り向いてくれるとか、気にしてくれるようなチームづくり、クラブづくりをしたい。

監督として、そういう全体像まで網羅し、把握していないと失格だと自分は思うから。オンザピッチで戦術を組み立て、選手を起用するだけが監督の仕事ではないし、それでチーム、クラブが本当の意味で強くなると考えていないんでね。

皆でチームを強くしていく

──3年ぶりのJ1復帰ですね。黄金時代を築いたクラブの再生は、まだまだ時間がかかるでしょう。

甘い世界じゃないのはよく知っている。もともと、J2にいても常に上を目指したJ1仕様でチームをつくってきたので慌てない。上のステージで、選手が、さすがにトップレベルはうまいな、J2とはクオリティが違うな、とビックリしないように目標は明確に定めたい。

──具体的な順位は?

そういう設定ではなく、いかに早く勝ち点40を抜けるか(残留に必要な勝ち点の目安)がカギになると思う。そこからさらに目標設定を高くしていく。厳しいけれども、苦しみながら選手、クラブ、皆でチームを強くしていくワクワク感は今から持っている。

──選手たちも、昇格の天と地を味わっている。

ジュビロの選手たちはどのステージでもで十分戦えるじゃないか、クオリティが高い、と、見た人に言わせるにふさわしい実力がある。監督として自信を持って臨みたいし、早く選手と皆さんに見てもらいたい。(終わり)

(写真:星野裕司)