人間は誰しも環境の奴隷である──動かない組織を変革させるために必要なこと
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どぎついフレーズではありますが。環境によって人は良くも悪くも変わり得ると思っています。人にではなく、人を取り巻く環境にこそ働きかけていくべきなのかなと。自分に対しても然りです。
前職や前々職の頃は、月末の金曜日が憂鬱でした。給与支払いでキャッシュが消えていくから。自慢できた話ではありませんが、「給料日が憂鬱」という体験をした人に会うと、妙に親近感が湧きます。
キャッシュアウトする夢で目が覚めたり、歯ぎしりで前歯が折れたりもしましたが、腹を括る体験としては最高だったのでしょう。無駄な経験なんて何ひとつないんだし、今の経験が未来の自分を作っていると捉えるようにしています。
ちなみに1ヶ月にもわたり、「今週は病気療養のため休載です」状態になってしまったのは、たぶん優しい編集さんに甘えて追い込まれていない環境だからなのでしょう。すいません。
毎週書くの、なかなかきつい……。
追記
よくよく考えてみたら渋澤さんを前にして「論語と算盤と私」はさすがにおこがましいですね。
ひとつのオマージュということで、どうぞご容赦のほどを。人は環境の奴隷。そして、環境を変えるとは、時間配分、住む場所、付き合う人を変えること。自らの決意ではない。しかし、自分で自分を変える環境を創ることは難しい。
これまで、色々な環境変化があったが、一番自分が変わったのは、子育てを軸に生活を変えたとき。時間配分は、7days 24hoursの仕事人間から、午後6時には帰宅する生活へ。住む場所は、職住+保育園近接。付き合う人は、飲み友からママ友。
物凄いストレスが正直あった。自分のために、自分の時間と努力をつぎ込んできた人生から、突然子供のために自分の時間、体と意識を使うことを全てに優先する人生へ。この変化は想像以上に、自分の価値観、行動を変えた。最早、社会でどう評価されるかではなく、自分がどう生きたいのかに、真正面から向き合うチャンスになった。そして、自分は結局、次の社会にどういい形で繋ぐのか、どう貢献できるのか?しかないという想いに至った。
実は、男性が子育てにコミットするということは、家庭・奥様のため以上に、男性が自らを変えるチャンス。仕事の修羅場以上に、大きな変化を生み出す機会になる。そして、隣にいる奥様は、既に子育てを通じ成長していることを発見する。《マインドセット》ドイツに来てから、住む場所から付き合う人まで全て変わった。結果、周囲の人の話をよく聞いて、そこから突破口を見出すスタイルとなった。異人ゆえ、支持基盤が弱いため、傾聴の姿勢で以ってリスペクトを勝ち取ることも兼ねている。
周囲との摩擦の強度次第で生きようは変わってくる。この弾力性が意外な自分の発見に繋がる。同じ環境だと、この摩擦係数が上がらず、自分も変わらない。