慶応SFCは二子玉川に移るべきか?
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注目のコメント
慶応SFCに、一人暮らしの学生が多かった時代は、陸の孤島としての意味合いはあったと思うのですが、今や通学する学生が多数派です。
むしろ、通学時間を短くして、都会のど真ん中で刺激を受けた方が、イノベーターが育つ気がします。私はSFCに育てられた人間です。隔離された田舎キャンパスは、仲間と語り合う時間や自由な意見を生みました。
一人暮らし仲間と毎晩飯を食い、朝まで語り合った日々。浮世からは隔絶されていたけれど、その分、ブンブンと机上の空論を回す。哲学的に行き詰まってはキャンパス内の芝生に寝て、星空を見る。
あの立地が自由で居て良い、と言ってくれてたと思うのです。
でも佐々木さんが言うように通いの学生が増えているなら、時代は変わったのかもしれませんね。この記事は、SFC関係者以外全く興味無いだろうなと思いつつ、名前を出して頂いているので、コメントします。世間からは意識高い()と揶揄されがちな我が母校ですが、一言で言わせて頂きますと「生まれ変わっても行きたい学校」です。
簡単に言うと「挑戦してるやつをバカにしない」という、あの雰囲気が最高でした。それだけでも、行って良かった。
そして、先輩たちと仲間たち。楽天を三木谷さんと二人で創業し、その後その地域をあっさりと捨て公立中学の校長になった本城慎之介先輩など、本当に生き方としてカッコいい人たち。同学年の仲間たちも、起業や社会起業(当時そんな言葉はなかったけど)や作品作りに、本当にキラキラ汗をかいていた。
先生たちも、「就職なんてせずに、リスクとれよ」と葉っぱをかけてくれた。榊原清則先生は、学生ベンチャーやっててお金のない僕と、ルームシェアまでして
支えてくれた。
書いていると泣きそうになるけど、そういう素敵な人たちの集まる場だった母校。別に湘南台でもニコタマでも、どこでも良いよ。大切なのは、魂なんだよ。あの、社会を背負おうという壮大な勘違いを肯定する、挑戦と学習の精神。それこそがSFCなんだ。
ここまで書いて気づいたことがある。そう、25周年イベントに、なんで自分呼ばれてないんだ。今知ったよ、おい。なんなんだ。