若者は「働き方」にどのような意識を持っているのか
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みなさま、色々とコメント頂戴しましてありがとうございました!ご意見も沢山頂戴し、個人的に思うところ・考える部分ありましたが、「なるほど」と思いながら読ませて頂きました。”若者”という言葉で括ることも、ロジックの構築の仕方もやり方や視点が多様にあるのが事実です。また、過去比較、という話題も多く出ていましたが、その時代の気分から若い人を分析する時、その時々のトピックが必要であることに毎回気づかされます。中々すべてをお伝えしきれなかった所も多いのですが、このような機会を頂くことが出来たことはとても貴重な場であり、体験でした!ありがとうございました!
3回の連載を通じて、コメント的には「分析が薄い」という意見が多かったと感じますし、自分も「若者って括りすぎかな?」「昔と比べなくていいのかな?」「感覚的に言ってるだけに見えるなあ」と感じたことは確かです
一方で違う見方をすれば、広告の世界で求められる「分析」というのはそういうものである、ということを理解できた連載だったのかな、という気もしています
広告で必要なのは、厳密な学問的なファクト&ロジックよりも「共感」や「気付き」
何となくみんなが思ってることを言葉にし共感を得れば、極端な話は統計的にどうかとかはどうでもよいのだと思う
流行り言葉になった「マイルドヤンキー」とかも論理的分析から導かれた訳でもなく、観察のなかからみんなが何となく感じていたことを分かりやすいキャッチーな言葉で表現し「共感」を得たにすぎないだろうし、それでよいのだと思います
日本一の広告会社で研究をされている人がどう考えているのかを知れたという意味で個人的にはとても参考になりました。お疲れさまでした!せっかくなので、昨日からの流れで承認欲求が変化してきているという仮説のもとで話してみます。まず大前提として、人は誰もが誰かに認められたがっているものとして考えています。
SNS以前は、自分を認めてくれるのは、身の回りの人でした。なので、人生のイベントについて「一般的に認めてもらえるやり方」を選んできたわけです。いい会社に入って、いい車に乗って、結婚して、家を買って、子どもを産んで…と。
なのでこの当時は、働きたいから働くのではなく、認められたいから働いていたのではないかなという印象です。
翻って現代では、顔をあわせる人から認められなくても、簡単に他人から認められるようになりました。なので、親や親戚、隣近所に認められなくても構わないと考える人が増えたわけです。働きたくないというのを隠すためのモチベーションである世間体が、意味を成さなくなったのだと理解しています。
働かなくても承認欲求が満たされるので、人並な生活が送れるだけの収入があれば、企業の大小には頓着しない、という回答が増えるのもそうかなぁと思います。(本当は選べるほどの選択肢がなくて、自分を納得させたいというところかなとは思いますが)