「どうやって頭の中を集団で再現するか」ゲーム開発の難しさ
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第一回はバンナムの取り組み・産業について、第二回はコンテンツ産業のグローバル化、第三回は開発のチーム作りについて書きました!
実はプロジェクトについて日本型(ウォーターフォール)、北米型(アジャイル)とシンプルに言えない難しさも感じます。日本でもアジャイルは一般化しており、全体仕様を決めずにプロセスを重視した管理もしています。手法レベルは共通なのに、どうしても日本は図のような形に「寄っていってしまう」。北米でも全体でより日本型にしても、いつのまにかチームの流れで北米型に「寄ってしまう」。これって手法の問題でなく、国民性の問題なのでは?としか思えない事象によく直面します。(このあたり続編で書いていきますね)
かつ日本の方がヒエラルキー的な作り方なのに「リーダーシップは弱くて、和を尊重し、全員が同じ情報をもっている状態にしていく」日本人と「リーダーシップは強くて、判断は早いが、全体を把握しているわけではない」北米人と、結果としての人の特性と逆の組織の型になっている気もしますし。
そうした日本でぶっとんだゲームがつくれないかというと、そうではない事例もいっぱいありますし、「日本で最近良作少ない」という発言自体は「大ヒット作しかフォーカスされない」ヒット主導のコンテンツ業界ゆえの見え方なのではとも思います。一つ明らかに言えるのは、「業界が成熟してフランチャイズで安定的に稼ごう」という引力に北米・日本かわらず引き込まれがちで、そこに強引にでも抗っていかないと、たしかにサプライズな作品は出てこなくなってしまいます。この業界はマーケティングやビジネス主導と、職人第六感によるクリエイティブ主導の割合を「変え続けて試してみる」こと自体が成功法則なのだと理解しています。
「新規IPのゲームは本当に減っているのか?」
http://yamanashirei.blog86.fc2.com/blog-entry-1935.html
「ピクサー流 創造する力」ではこんな言葉ありました。「I had to admit that our team there behaved a lot like a collection of grad students-independent thinkers with individual projects-rather than team with a common goal. A research lab is not university, and the structure didn't scale well(学生集団のようだった我々のチームは個々のプロジェクトで個々人として考え行動していた。共通目的をもったチーム、というのではなく。リサーチラボは大学ではなく、スケールしないものだった)」 組織のサイズというのも大事だなと最近思います。そもそもの数が(7人以上いると会議は非効率的になる、というのもありますし)、創造性の限界を設定し、個々の自由度を制限してしまう。となると組織のサイズはこのくらいに留めて大きくすべきではない?といったことも現在実験的に進めてます。
ちょっと長くなりました。スミマセン。今回も面白い!「人間関係が生産性の一番のトリガー」というのはチームで何か失敗する可能性もあるモノづくり(論理だけで上手く行かない領域が多いこと)をやる時には、本当にそう思う。最近ここらへんが興味関心エリアで、Pixar経営者のエド・キャットムルの「ピクサー流 創造する力」が当たり本だった。記事で紹介されている本も読んでみたい。
あとゲームなど「趣味」とする人が多い業界は、楽しい部分もあれど、好きな人が多いからこそ審美眼も一層厳しいしストイックさが求められる印象。この「北米」と「日本」のプロジェクトマネージメントの違いはなかなか理解されないことが多い。マネージメントスタイルは、プロジェクトの成功の確率に関わるだけでなく、人材の確保に直結する。如何しても縦組織でマイクロマネージメントするクセが日本人は多く、「北米」人材はこれを嫌う。信頼されていないと感じるだけでなく、よくわからない報告に時間が取られ、自分の仕事ができないと感じるようになってしまう。これで多くの優秀な人材を失うケースが多い。特に本社と現地法人を直接やり取りさせるとよくこういうことが起き、台無しにされることがある。あぁ、今月もまた一人、、、