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Googleはできるだけデバイスとの接触時間を少なくする方向にあるのに対して、Appleはデバイスとの時間を増やす傾向にあるという違いはあります。しかし、共通するのは人ができるだけアクティブにならずとも、パッシブな状態で様々なサービスが受けられる形。また、ユーザーこのパッシブな状態でもある意味、コンテンツを消費できるということはモバイルでは厳しいとされているマネタイズや自分の興味範囲外のコンテンツ消費にも繋がるのではないかと思います。
AppleのUIが優れている点の1つとして、自身の動作がキチンと反映されている感が大きい、というのが言われていた。例えば地図アプリでは、地図画像自体がダウンロードできていない時に、アプリを止めるのではなく、入力に合わせてメッシュパターンのみを動かすことで、「動作は反映されているが画像が未ダウンロード」という状況が、直感的に分かるようになっていた。端までスクロールするとバウンドするようなエフェクトが出るのもそう。UIの向上がUXの向上に繋がっていた時代。
それが一段落し、そこに驚きを感じられなくなった今、UX自体の向上へとシフトしている。その最たるものが、記事にもあるような、機器間のシームレスな接続。今や新しくパソコンを買ったときも、勝手にあれこれ同期して元のパソコンと同じ環境を容易に作れるようになっている。
となると、この次に来るのは、デバイスを極力身に着けない世界。環境に機器が組み込まれ、好きなときに情報を取り出せるような仕組みにシフトしていくはず。
ただ、情報を提示するディスプレイについては、何らかの形で用意する必要がある。それがスマホのままなのか、メガネタイプの端末なのか、環境に埋め込まれたプロジェクタなのか、はたまたドローンのような形の、ついてくる執事型ロボットなのか。あれこれ想像は尽きない
今回の連載の第2回、申し訳ないのですが、めっちゃ今更感が否めない。UXが主戦場、というのはiPhoneが出てきた段階から語られていることですし、それを現場で実行し、あらたな体験を創り出し、というサイクルはもう何周もしている。
Now on TapもApple proactiveもUXの話は彼らはしていない。UXは当たり前の前提で「Context」をより精緻にしていきUXに載せていく話をしている。
大変申し訳ないのですが、第2回の連載はかなり厳しい意見とさせていただきます。
UX (User Experience)。ITの世界ではもはや当たり前のように使われている言葉だが、もともと「顧客経験 (Customer Experience)」の概念は、製品開発やマーケティングの世界では20年以上も前から活発に議論されていること。顧客経験に着目することの社会的意義を包括的に述べたPine & Gilmoreの "Experience Economy(邦題『経験経済』)の初版は1998年出版。そもそも、UIとUXは対置する概念ではない。UIはあくまで情報の出入力方式を体系化したもので、UXは情報やサービスの利活用によるユーザーの機能的・感情的ベネフィットの包括的価値。なので、タイトルには少し違和感がある。

ITによる自動化とそれによるユーザー支援に関する研究開発は、それこそ30年以上前から、Human-Computer InteractionやCSCW (Computer Supported Collaborative Work)などの研究分野で長い蓄積があるが、いまこうしたものが一気にコンシューマプロダクトに落とし込まれているフェーズに入っている。やはり、スマホの普及により、ユーザーによる実際の利用データがネット回線を通じて逐次開発側にフィードバックされることで、それを元にした学習モデルを組むことが容易になったことが大きい。我々ユーザーは、サービスを利用しながら、無意識的に開発にも参加しているのである。

ただ、僕は、自動化とプロアクティブなユーザー支援が唯一のUX開発の行き着く先だとは思わない。機械学習に基づき、かなりの範囲で行動を先読みされ、求められているであろう蓋然性の高い情報や機能を適宜提供していくと、ユーザーの行動の少なくない範囲が、そのIT支援による「無意識的に誘導」されるようになり、さらにこの行動パターンが学習ループも戻され、さらに強化されて次の行動も「誘導」するようになる。一方、我々はいつもそうした合目的的な行動をしているわけではなく、意図や予測を超えた先の、その行為そのものを行うことに意味がある「コンサマトリー」な行為欲求もある。機械学習が、そうした人間のある種非合理的な欲求をも満たすような「ゆらぎ」のある支援をできるようになるのか、まだよくわかっていないが、すべて集合知データにより最適化された行動支援ばかりに満たされた世の中の画一性のリスクについても、我々は自覚的であるべきだと思う。

UXの新たな地平は、実は現在の活発なIT開発の領域の外側にあり、物理世界の設計が再度重要になるフェーズになるのではないかと思っている。
UXが決める、というのは同意。昔Blu対HD-DVDで規格競争が終わったときにBluが普及すると主張したところ、当時の上司が「かとちゃん、質の進化だけだと、そんなに普及しないと思うよ。SACDが例だよ」と言っていた。彼は合っていた。一つの軸で延長線上に進化するだけだと、UXは変わらない。それからは、電子機器が爆発的に普及するかを見るときには、二つポイントがあるかは絶対チェックしている。
UXというところに戻ると、音楽関連では、音質だけでなく、レコード→テープ(録音可能)→CD(スキップ可能)→HDD(大量に持てる)→Flash(壊れにくい)とUXが進化。逆に音質だけの進化を求めたSACD(Super Audio CD)は失敗といえる。
ビデオでも同様にDVDへは画質だけでなくスキップできるメリットもあり普及したが、Bluは画質だけだったので失敗。テレビの進化も、液晶へは薄型化という点で進化したが、4Kとかは画質だけの進化なので爆発的にUXを変えるものではないと考えていて、自分は悲観的だ。
ただ、Apple WatchがどうライフスタイルというUX(経験)を変えるか、自分は分からない。自分は、魅力を感じていないので買っていないので、実際使われてる方のコメントは是非聞きたい。
ライフスタイルだったり、ユーザーエクスペリエンスだったり、などは特に近年重視されてる領域ですが、機能的には欲しくても、情緒的にそれは嫌だ。という場面がまだまだたくさんあって、人の体験に対する受け止め方がどのように変化して行くのかに並走してデバイスのあり方もさらに変化して行く必要があるんだと思います。今日嫌なものも、来年にはうけとめらると言うようなものが存在するように。
UXは流行りバズワードのようであまり好きな言葉ではなかったが、ここで指摘されているように、UIが「こっち側(リアル)とあっち側(ネット)の境界線」を表す言葉に対して、「日常に如何に溶け込むか」に主眼があるUXの概念は非常によくわかるし、それだけネットが日常化していくということなんでしょうね
UIからUXへというのは少しずつ実感していくことになりそう。AppleWatchかただの時計ではなくウェアラブルデバイスとしての確固たる地位を得るにはより一層のUXの強化が必要になってきそう。
良く纏まっている良い記事。
能動的な動作を極小化するテクノロジーは必ず普及してくると思うけど、これは突き詰めると人間の存在意義まで考え直さなければいけなくなる。
自分の行動が予め予測され、感情や勘も解析され、セレンディピティですら設計されてしまった暁には、目の前に提示された体験をただ消費し続けることになる。
まだまだ先のことだと思いますが、将来的に人間は「考えなくなった葦」になってしまうのではないかと危惧しています。
iPod touchが出てもiPhoneの容量が増えても、私は頑なにiPod classicを使い続けてきた。160GBという容量が必要だから。何を必要とするかはユーザーによって異なる。一方で、それすらもパターン化されていくのだろうと思う。自分の生活の中では、あなたにオススメ、と提示されたものをあえて選ばないようにしているが、選ばない、という行為を選ばされている・・・