ホーム
1フォロー
560フォロワー
芥川、直木賞候補決まる 社会学者の古市憲寿さんら
岡本 裕一朗玉川大学 文学部教授
古市さんの候補作品を読んでないので、これ自体に対してコメントできないが、少し議論が混乱しているようなので、書いておきます。
①今回の候補は小説に対する候補なので、基本的に学者かどうか、学者としての資質があるかどうかは、まったく別問題であること。問題は、古市さんの小説であり、それ自体に対する評価であれば、議論可能だろう。学者(としての資質)は別途に問題とすべきである。
②「博士号」をもつかどうかは、学者(としての資質)かどうかとは、別問題である。最近は課程博士が文系でもでてきて、大学院博士課程修了の多くの人が、博士号を取るようになった。しかし、それをもっているかどうかは、学者としての資質があるかどうかとは、まったく違う問題である。それを取得していなくても、優秀な人はいる。逆に、持っていても、できの悪い人もいる。医者のような資格ではない。
③芥川賞や直木賞は、最近では市場の動きと連動している側面も否定できない。その点で、タレントさんや著名な人、意外性のある人が受賞すると話題になる。これ自体は否定できないし、批判することもできない。文学作品も市場を無視しては存立できない。
もちろん、こうしたことから、古市さんの候補がどうだ、ということではない。小説はどんなものだったのだろうか?
人気番組に出演したイーロン・マスクが示した、自動運転を使うときの「最悪のお手本」
岡本 裕一朗玉川大学 文学部教授
自動運転車の技術が完全でなければ、当然人間はいつもハンドルに手を添えて、車を取り巻く状況に注意しておかなくてはならない。しかし、それだと、何のための自動運転車なのか、分からなくなる。絶えず注意するくらいなら、自動運転車はいらない!これは、自動運転車開発に伴う、根本的なジレンマだろう。
自動運転車を売る方としては、「人間が注意しなくても大丈夫」というポーズを見せないと売りにくい。しかし、技術レベルでは、まだそこまでいっていない。その点では、イ―ロン・マスクのやり方は「最悪のお手本」かもしれないが、売る立場からすると、「最良のお手本」ともなるだろう。
いずれにしろ、技術が完全になるのはもっと先のことだから、今回のことは例外的なことではない。中途半端な技術を過信して、事故が起こるのは、避けられない。社会はこの状況にいつまで耐えられるか。多分これが問題になるだろう。
「ITの活用でダンス市場を変えたい」ダンサーが立ち上げたDanceNowが資金調達
岡本 裕一朗玉川大学 文学部教授
「ダンサーが稼ぐ手段が少なく、それだけでは食べていけない世界を少しでも変えたい」という意図は、よく理解できる。自分自身の業界の話としても、まったく同感である。ぜひ軌道に乗せていただきたい。
ただ、一つ懸念は、動画配信のようなものだと、一部のスター性のあるダンサーのみに脚光が当たり、その他の目立たないダンサーには、あまりメリットがないのかもしれない。予備校のようなところでも、有名講師は稼げるが、その他の講師には厳しい現実が待っている。
ダンサー市場を活性化するには、目立たず熱心に活動している人々が、きちんと稼ぐ基盤を作ることだろう。DanceNowの試みは、その道を開くことができるだろうか。大いに期待している。
「ルールがないから、やっていい」という人々と、「ルールがないから、やらないほうがいい」という人々。
岡本 裕一朗玉川大学 文学部教授
「ルール」は、基本的に、明示されている場合と、明示されていない場合がある。明示されていなければ、明示的に禁止されていないので、やってもいい、という理屈は成り立つ。しかし、じっさいには、やっていけないことを、すべて明示するわけではないし、明示できるわけでもない。そのため、これを逆手にとって、アメリカでは訴訟が頻繁に起こるので、面倒でも細かに書くようになる。「そんなことは常識で考えればわかる」とは言えないのである。
しかし、明示されていないものでも、常識的に考えて禁止されていると考えると、新しい動きができなくなる。少々の軋轢があっても、明示的に禁止されていなければ、「やってしまえ!」という精神が革新者には必要かもしれない。保守的な人は常識に訴えるが、常識を無視しなければ新しいことはできない。なので、少々の無理をしても、明示されていなければしてもいい、とした方が時代を切り開く力をもっている。もちろん、批判も多いけれど。
NORMAL
投稿したコメント