【フォロワー190万人】大喜利「坊主」が語る仏教論
コメント
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現代に対応した「変化球的な救い」だと思った。
例えば下記のディズニーについて。
習慣からは違うが、幸せを願う普遍性がある。葬儀自体も、色々な儀式で忙しくすることや、多くの方がそれを機会に来ることで、亡くなった悲しさを一時でも忘れたり和らげる効果があると思っている。
社会の変化で葬儀を執り行わなかったり小さくなったりが一般的だが、本質的な部分で通じる点があるが受け入れや推移。
『愛する人が亡くなって数日後にディズニーに子供達と行って不謹慎だと言われる、、残された者が笑顔でニコニコしてることが先に逝った人への最高の供養だと高齢の住職から教わりました。ご参考までに。』
大喜利は、普遍性があるが少し角度を変えた楽しいこと。楽しいことは誰かの救いにつながること。
『私にとって仏教とは、ニートや引きこもり、非リア充の人々に光を与えるものです。』という言葉があるが、こういう点も宗教が昔から世の中で多く発生してきた理由、人間の弱さの拠り所であることにつながる。
だから、冒頭に書いたように『現代に対応した「変化球的な救い」』だと感じた。
注目のコメント
>平時は、それで良いのです。
>一方で、お盆やお彼岸といった節目節目の大切なタイミングで仏教に関する
>ことや真面目な発信をすれば、仏教のことのみを発信してきた場合より
>影響力は格段に大きいはずです。
>なので、私はそのタイミングのためにフォロワーを増やしてきたと思っています。
フェーズフリーの発想に通じますね。Xも平時に使われるものだからこそ災害時にもそこに人が集まり活用されるわけで。政治も宗教も災害対策も、小難しくてとっつきにくいけど大事なことほど、日常にいかに溶け込ませるかその工夫が大事なのだと思います。
※wikipediaより
フェーズフリーまたはフェイズフリー(Phase Free)とは、平常時と災害時という社会のフェーズ(時期、状態)を取り払い、普段利用している商品やサービスが災害時に適切に使えるようにする価値を表した言葉である。記事終盤の「次に読む1冊」のコーナーで地図帳を勧めてくれたのは、後にも先にも坊主さんだけだと思います…笑
1日に一度は坊主さんの大喜利選手権ツイートがXのタイムラインに流れてくるという人も多いのではないでしょうか。
素性を明かしていないため、緊張しながらインタビューに臨んだのですが
期待を裏切らず、ユーモアに溢れる方でした。
(ボソっと面白い発言をされるイメージです)
坊主アカウントの誕生秘話からちょっと意外なSNS運営の目的まで、
様々なお話を聞いてきました。
見えてきたのは、坊主さんならではの「仏教観」でした。若い人がもっと力を発揮できる社会になればいいと思っていますが、こういう時は「高齢の住職がこう言っていた」というと説得力があるのは面白い。本題とは外れますが、そういう年寄りになりたいなあ。