【AI時代の大疑問】結局「英語力」って、どこまで必要なの?
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ここで述べられているように、「生身の英語力」はビジネスの高度なスキルが要求される場では必要になってくるという、必要性から来るメリットがある一方、「言語によって違う人格の自分」が開発されて自分の違う側面に出会えるというもっと自己成長に近いメリットともあると思う。
私の場合は、英語話してるときの方が人見知りが減り、社交的で自信がある話し方をしてると思う。
言語って単なる人と人の通信手段ではなく、言語が持つ歴史から脈々と受け継いできた地域や国の人格も宿っていて、そういう新しい自分を発見するために言語を学ぶのは、AIには絶対に代替できない部分だと思う。洋楽をよく聴いていたので、中学・高校と英語は好きな科目でした。そこから外国語大学に進み、米国留学を経て、取材でも英語を使うようになり、それなりに話せるようにはなったと思います。戦略的というよりは、やりたいことをやっていたら英語もついてきたというパターンですが、それでも「英語なんてもう勉強しなくていいよ」と言われたら、今まで自分がやってきたことは何だったのか、なんて思ってしまいます。
少し込み入ったメールを書くときは、今でも自分の表現のバリエーションの乏しさを痛感します。そんなときにChatGPTを使うと、かなり洗練されたものに仕上がります。確かにこれを繰り返していると、知らず知らずのうちにいろいろな表現が身についていることに気が付きました。参考書で勉強しなくとも、ChatGPTで"生きた英語”が学べる。AI時代の英語学習とは、そういうことなのかもしれません。結局「英語力」って、どこまで必要なの、という問いにたいする私の答えはシンプルです。
「結局、AIが出てきても英語なんて、そんなに難しくないんだから、普通にペラペラに話せなくちゃダメでしょ」というのが私の答えです。AIで翻訳は確かにできる、しかし面と向かって英語で普通にコミニュケーションしなければ、英語を母国語にする人と本当の意味での友人にはなれません。
目の前にある仕事をこなすにはAI翻訳で充分かもしれないが、そこから仕事を超えて一生付き合える人間関係は生まれてこない、ということです。
どこまで必要なの、なんて聞いている暇があったら、勉強してどんどん話して、普通にコミニュケーションが出来る英語を身につけなければだめ。横着は禁物です。ただ英語より使用頻度の低い外国語は、AI翻訳でもいいと思います。