「敵国の言葉なぜ学ぶの?」逆境の中でロシア語専攻の道を選んだ学生に聞いてみた ウクライナ侵攻開始時には高校生、周囲から冷たい反応も
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ドナルド・キーンさんも日本語を学んだのは太平洋戦争中でした。日米戦の真っ只中、大学の教授には日系アメリカ人もいました。大学卒業後は米海軍に属し戦地で戦死した日本軍兵の日記を解読するのが仕事でした。アメリカでは兵士が自由に日記を書くことは禁止されていますが、日本ではノートや鉛筆は支給されていました。それは日本には随筆の文化があるからだろうと推測されるのですが、キーンさんが驚いたのは、ある日本兵の日記の最後に「これをもし読まれたなら家族にこの手帳を渡して欲しい」と英語で書かれていたのを発見したことでした。それまでキーンさんは日本人に会ったことはなく、彼が初めて出会った日本人はすでに亡くなった日本兵だったと回顧しています。
ロシア語といえば、満洲で家族や親族の女性がソ連兵に暴行を受けるも生きるためにソ連兵の靴を磨いて日銭を稼ぎ毎日ソ連からの脅威に怯える中でもなぜかロシア語に魅了される日本人男性が多かったと聞きます。たしかにバレエとかクラシック音楽、文学といったロシア文化の表現には魅力的なものがありますよね。僕はまったく興味ないんですけども。
注目のコメント
1942年、米国では日本の宣戦布告を受けるやいなや、陸軍も海軍も日本語学校を設立し、競って優秀な学生を集めて猛烈な速成教育で日本語を学ばせました。
日本軍の暗号を解読したり、捕虜を尋問したり、そして戦勝の後に日本を占領統治するためには、日本語人材が大量に必要になることがわかっていたからです。
サイデンステッカーとかドナルド・キーンとか、後の日本研究者たちはこの時の産物です。
同じ時期に、日本では愛国婦人会とかが「敵性言語」ということで英単語の使用にも目くじらを立てていましたが、まともに勝つ気があったとは思えません。米国を占領してからどのように統治するかとか、考えもしなかったのでしょう。
本当にウクライナが勝つまで戦争をやるのであれば、ロシア連邦を解体するところまでやる必要がある可能性はかなり高いです。
ウクライナが負けたらそこまでは前哨戦ということになり、どうせまたもっと大きな戦争になります。
いずれにしろ、日本も北方領土だけではなく、ウラジオストクとかカムチャッカ半島くらいは統治しなければならなくなるかもしれません。
その時、ロシア語人材は引く手あまたになるし、行政ができるほどのロシア語となると、5年くらいは勉強した方がいいですから、今から始めて間に合うかどうかくらいでしょう。人生を豊かにするために縁のある外国語を学び研究するモチベーションは、どんな言語であっても同じだなと共感します。今対立関係にあるからこそ、学びつないでくれる存在はとっても貴重!彼らを応援したいです。