【追悼】鳥山明。世界に残した「真の遺産」とは
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漫画は専門ではないですが、エンタメの編集者として少し解説してみようかと思います。
個人的な私見として、ドラゴンボールは国内と海外ではその役割が大きく違ったんだと思います。
というのも、国内では漫画というジャンルにおける一つのターニングポイントであり、以降多くの漫画家を生むきっかけとなった作品であるということです。
ドラゴンボール(厳密にはDr.スランプですかね)のコミカルなタッチでありながら、激しいバトルシーンが混在し、緩急をつけた作品として成立させています。
当時の人間ではないので、それ以前にもあったかもしれませんが、しっかり結果を残したという部分も含め、それまで北斗の拳のような荒々しい作品とは一線を画した存在になったんだと思います。
そして、海外での役割は主にアニメーションの領域において絶大だったのだろうと思います。
海外は日本ほど出版の流通は強くないので、そう気軽に漫画を流通させることが難しいわけですが、アニメであればTVさえあれば放映ができます。
記事にもある通り、DBやワンピースなどは多言語に対応しながら、ライセンス料を安価にして繰り返し放送されているそうですし、見慣れないアニメに対して少しずつ浸透させていくという文化の輸出を根気強くやり続けたからこそ、今のアニメ人気があるのだと思います。
もちろん、バトルを主体として国境を超えて感動できる作品があってこその偉業です。
この功績はどれだけ時間が経っても消えないですし、これからの漫画、アニメにおいても連綿と引き継がれていくと思います。
注目のコメント
「世界」というのは一くくりにし過ぎで、『ドラゴンボール』が最も社会の隅々まで繰り返し観られたのは、中南米でしょう。それからスペイン。
日本のアニメといっても、国によって文化が違うので、どのアニメが人気になるのかは、国によって違って当然です。
『ドラえもん』の中国や東南アジアでの国民的な人気は、欧米では共有されていません。
もう昔の話ですが、中国では『一休さん』は誰でも観ていた、というのは他の国にはない特徴ですね。
『ドラゴンボール』や他のいくつかのアニメ(『るろうに剣心』とか)が中南米諸国で他のどの国の人々に対してよりも刺さるのか、これはなぜなのかよくわかりません。
一方で、ドイツで起きている日本少女マンガの旋風的な人気は、中南米諸国ではたぶん起きないでしょう。
鳥山明という人は、特異点です。
たしかに世界中の個々人への影響はどのマンガ家よりも大きいのですが、彼は日本のマンガ家の典型ではありません。
アシスタントを1人しか使わなかったので、弟子といえる人がほぼいないし、絵が独特に上手すぎて、模倣できている人がいません。
鳥山明の前に鳥山明はなく、鳥山明の後に鳥山明はいません。
それから、これは手塚治虫はじめ多くのマンガ家にいえることですが、鳥山明作品は、日本のマンガ家といっても、意識的に世界中の要素を取り入れています。
SF(スターウォーズの同時代作品と見るべきです)、特撮、ミリタリー、カンフー、等々、世界中で受けるであろう要素が盛り込まれています。
あと、舞台があまり日本ではなく、スタイリッシュなデザインですが、感情表現が少なく、日本社会特有の要素が少ないです。
このあたりも、世界各地、特に中南米で人気になりやすい要因でしょう。日本では漫画家が一般的な呼称ですが、鳥海さんは海外で「マンガ・アーティスト(漫画芸術家)」と表現されます。漫画は英語でアニメ、コミック、カートゥーンです。「マンガ・アーティスト」は、日本人にしか表現できない芸術感覚に対する尊敬の念を体現する言葉とみてよいと思います。そこまで海外で漫画の地位を高めた先駆者だと思います。
ちょうど、鳥山明さんの訃報が届いたとき、南部のサッカーの試合を見ていたのですが、その実況中継でも、特にスペイン語圏の人々がショックを表明していました。
「ドラゴンボール」は世界共通語だと再認識しています。
本日は、Japan Risingのパトリックによる追悼記事をお届けいたします。