「推しへの課金」という終わりなきレース資本主義社会の「推し活」にひそむ搾取の闇
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SNSにより他者とつながることが容易になり、同じ対象へ推し活をしている人の状況と自分の状況を比較しやすくなったことも、推し活消費を増加させているように思います。
推し活は交友関係の幅が広がるなど良い面も多いと思いますが、“推し活疲れ“のような言葉も出てきているなか、自分の消費行動について冷静に振り返る時間も必要だと感じます。
注目のコメント
記事の中にあった下記のフレーズ、「」を置き換えると色んなことに当てはまりそうだ。
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人生の大半を注いでまで、誰のために、何を目標として、何を証明しようとしているのか、明確にわからないまま、「推し活」という名の資本主義の競争に参加させられている人も少なくないだろう。
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学歴
出世
インスタ映え
などなど、競争やトレンドの裏側には必ずお金がついてくるし、資本主義の競争には参加せざるを得ない。
だからこそ、
何を目標として
何を証明しようとしたいのか
を一人一人が持っている時代になれば、日々満足感や納得感、幸福感が、閉塞感の代わりに溢れてくるのではないだろか。推し活も、ガチャやギャンブルと同じく、依存症に陥る方が一定数いるということでしょう。多くの方は節度を保って楽しんでいるはずです。
ただ、仕組みとして依存症に誘導しているのであれば、規制は止むを得ないと思います。「推し活」なんてあたかも市民権を得たような書き方して、売る側、消費させたい側に都合のいいように操られている事に気がつくべきです。
本当に好きならまだしも、大半は「見てくれ!これだけ俺は推してる!」という村内の承認欲求を満たすために推してる人が大半でしょう。