意外と多い、「勉強しても知識がまったく身につかない人」の共通点
コメント
選択しているユーザー
義務からの勉強は、義務と感じた時点で手段的なのだから、
目的に沿った勉強をすれば良い。
自発的な勉強は、自然まかせで目的的なのだから、
自分の満足に必要なだけ勉強をすれば良い。
前者はタシャ起点。後者は自己起点。
後者の結果が前者につながり、結果として社会に貢献できる。そんな風に、自然体でポジティブに学ぶと何事も面白いです。
注目のコメント
>最終目的=ゴールを設定していない、またはゴールの設定が間違っているために、全力でゴールから遠ざかるのである。
>たとえば何らかの試験に合格したいのであれば「出題者の意図に沿う解答を時間内に書き上げる能力をつける」ことがゴールになるだろう
ゴール設定が大事なのはその通りだけど、試験の合格をゴールにするのは、そのゴール設定自体が間違っているので、仮に試験に合格してもその試験結果を有効に使えないと思います。
試験に合格するのは手段のはずですから。
なので、記事の中に
>たとえば簿記・会計を勉強している人で、ときどき会計基準制定の裏話まで体系立てて理解しているような人がいる。
という記述があるが、私はこういうアプローチは急がば回れで結局は適切であると思う。資格取得が遅くなったとしても。最初に全体感を掴むことで効率良く進められるというのはよく知られていること。
読書では(小説等は別)、目次でどんな流れで進むのかを理解したうえで読み進めると理解が早いとされる。人に何かを説明する際も、全体感を伝えたうえで進めると理解度が飛躍的に高まる。
問題は「初めて取り組むことは自分にとって未知のことであり、全体感を掴むこと自体が難しい」ことである。
そのため詳しい人に聞いたり、全体感が説明されている書籍やWebサイトを見つける必要がある。しかし、それらも正しく全体を定義されているか判断が難しいから厄介。
個人的には、全体感を掴もうという意識をもちながら、目の前のことに取り組むというのがいい気がしている。資格に受かることが目的ならそうかもしれませんが、少なくとも、「単にルールを覚えてる人」と「背景を理解してる人」を比べたら、後者の方が圧倒的に実務に強いです。
有名大学の准教授ともあろう人がこんな主張をするから、例えばIFRSが入ってきただけで大騒ぎするのです。実質的に存在する基準差異はのれんの償却程度なのに、ルールの書き方が異なる為に「差異がある」と大騒ぎする。表現が違うだけでほぼ一緒なのは結論の背景を読めば理解できる。
又、昨今「PLはいじれるから無意味」みたいな風潮も広まっていいて、バカな一つ覚えのようにCFだ!Cash is KINGだ!と吠え立てる人が増えました。
これも大きく誤解がある。PLをいじるというのは、あくまで「ルールの範囲内で」です。言い方を変えれば、ルールの範囲内でどう処理し、どう見せるかが大事。
この辺り、ルールの背景とかを知らないと出来ない。
なぜPLがあるのか、PLとBSの関係はどうなっているのか。ろくにBSも読めない人がCashだ、PLは嘘だ呼ばわりしてるのを見ることほど、目先の足し算引き算しかできないことを表していると感じます。
《たとえば簿記・会計を勉強している人で、ときどき会計基準制定の裏話まで体系立てて理解しているような人がいる。こうした人は、会計学の全体観を把握して部分的な知識をひとつひとつ埋めていって、体系的な知識を得ているのである。それにもかかわらず、こうした人が公認会計士試験、税理士試験、簿記一級に落ち続けて悩んでいることがある。》