【とあるアラ子】私が考える「ルッキズム問題」の本質
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ルッキズムの延長には差別がある、というアラ子さんの見方にとても共感しました。見た目以外でも、日常的に(悪気なく)使っている言葉の中に、ある人にとっては否定に聞こえるものがあるのだと思います。気をつけたい。
注目のコメント
最近のお笑い芸人の騒動も関係しているであろう.
ルッキズムは1970年代の米国に端を発するということであるが,もともと人間が本能的に持っている特性であろう.美しいもの,綺麗なものは正しい.
インスタ映えする見た目が良い萌えるデザートの写真を挙げる.いいねがもらえる.美しいは,おいしいに等しくなった.実際はどうか知らないが.
テレビのドラマの登場人物は日常世界ではありえない美男美女ぞろい.そうでない役者はお呼びがかからないようである.美男美女でない人はどこで勝負するのか.清潔感でしょうか.
つまり,いまの我々の間では,猛烈な勢いで,「美しく,清潔たれ」という運動が進んでいます.加工しても.
たとえば,「三丁目の夕日」のような映画を見ると,過去の清潔とは言えない時代の記憶でさえ,書き換えが進んでいる.
いわゆる「キャンセルカルチャー」.不潔でブサイクなものは清潔で美しいものに置き換われ,それができない(し損なった)人や物は排除される.
もしかすると,コロナの影響もあるかもしれない.以前にも増して我々は手を洗い消毒するようになった.東京オリンピックの演出家の排除騒動は,消毒だったのかもしれない.我々はそういった汚物に接して自分も汚れるのを避けるようになった.消えて無くなってくれと願うようになった.
昔はそういう世界を容認していたし,たとえば子供には,それを見せた上でいけないことと教育していたと思うのですが,今は最初から無かったことになっている.世代が変わるとどうなるでしょう.
見た目だけではない.行動や発言にも美しさが求められるようになりつつある.たとえば以下,「Twitter「裏アカウント」運用にはご用心」
https://newspicks.com/news/7180823?ref=user_2112738
汚い,ネガティブな発言にこそ本質があるというのは過去です.SNSやNewsPicksも,そのようなコメントにいいねがつくのは今だけで,やがてそれが足かせになって排除されるときがやってくるでしょう.
ルッキズムはルックスだけではない.
我々は大きな時代の変わり目にいる.
【追記】 ついでに,NewsPicksが最近,一時期ほどの勢いがなくなってきたのはなぜかについて私の考えを述べると,汚い,ネガティブなコメントや記事が目に入って,自分が汚されるのが嫌だから.とあるアラ子著『ブスなんて言わないで』は、いろいろと考えさせられる作品です。
↓第1話が読めます。
https://comic-days.com/episode/3269754496533948579
「ただ、障害や人種が持つルッキズムの問題って、実は「ブス」や「美人」のルッキズムの悩みと地続きだと思うんです」