成田悠輔や養老孟司らが語る「東大コンプレックス」とは 根底にあるのは“絶妙な難易度”
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注目のコメント
確かにノーベル賞はもちろん、ハーバード入学も雲の上の話に感じますが、東大は努力を重ねればなんとか手に届きそうなくらいの難易度に感じますよね。
私みたいに、学部ではなく、大学院から(しかも文系学科に!)学歴ロンダリングする裏道があったりもしますし。
「東大」には「こういう人であってほしい」という期待と嫉妬が入り混じっているように感じます。それは必ずしも東大以外の人からの思いだけでなく、東大生自らもお互いに期待し合ってプライドを守ろうとしているように見えることも。私は大学院で東大に行っただけなので「あなたみたいなバカが東大を名乗るのは恥ずかしい」と東大の先輩で著名人だった方に言われたことがあります。本当、余計なお世話だよと思いましたが・・・
東大とかどこどこ企業とか肩書とか、ほんとうそういうのに囚われている人はその世界で勝手に生きてください、と心から思います。確かに東大コンプレックスを持っている人を複数見てきました。手にもしかしたら届きそうな絶妙な確率はわかる反面、「隣の芝は青い」可能性も十分にあります。東大の卒業生だからこそ特別さを感じていない方もいます。
ただ、少なくとも学部ごとに人気のある大学が分散するアメリカの大学に比べると、旧帝国大学の序列が存在したことで、東大はその経緯を引きずっている気がします。