【AI新時代】「大卒だからホワイトカラー」はもったいない
コメント
選択しているユーザー
私の会社は製造業(豆腐の製造)とIT関連(マーケティングやコンサルティング、デザインなど・・・)をやっており、いわゆるブルーカラー、ホワイトカラーと言われる両方で事業展開していますが、やはり前者は簡単に『人手不足だから賃金を上げればいい』というわけにいかないのが現実で、そこが経営者の腕の見せ所だなと痛感しております。
そして個人的にはそれなりの企業に入って会社員を経験することは学びが多いので、逆に小さな頃から〇〇屋や〇〇士など分かりやすい職業ではなく『会社員』『事務職』という選択肢があっても良いのになぁ、と思ったりしております。
注目のコメント
これは本気で賛成です。人と一緒、つまり人ができることのだいたいはAIに置き換わってしまいます。え、全部?そう、殆どが。だからこそ人は「出来ることの幅が広い」ほうが1つのAIモデルやロボットに代替されにくいのです。事務スペシャリストよりも農家×農業事務スペシャリストのほうが取っ替えされずらい、ということです。
ブルーカラーの給与は不当に安すぎます。東京の大企業本社の経営職はともかく事務職のホワイトカラーよりも低いのはおかしな話で、「人不足」を叫ぶくらいなら(給与水準を決めているホワイトカラー自身が)率先して給与レベルを上げるべきと考えます。もちろんホワイトカラーの削減ないし減給とセットではありますが(そうしないとコスト高がマーケットに跳ね返りすぎる)。もちろん、AIの進化でそんなブルーカラーも一部はAIに置き換わって行くので、必ずしもブルーカラーが安泰というわけでもありません。いずれにせよ、こういう労働需給の大きな変化がしばらく続くような局面では、日本の厳格な解雇規制はやはり大きな障害になりますね。
働くことの価値観の歴史的変化。
会社員になって、上司の言いなりに従い、自我を抑えて働くのがカッコいい時代ではなくなりそう。勤勉に人生を楽しむネオ日本人の時代へ。
>日本でもヨーロッパでも「貴族」という階級の人は、貴族なりの仕事があるにしても、それほどあくせく働いていませんよね。
上級貴族は特に、社交が人生の主軸だったり、いかに煌びやかな生活をするのか追求したり、消費することに重きをおいていた。
本や歌など後世に何か残そうとはしても、食うためにあくせく働くのが美徳、とはされていなかったわけです。