大学生の5人に1人は買ったことがない「雑誌」 購入しても「読まない」人が続出、では、なんのために?
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受動的態度で情報に容易にアクセスできる時代です。
ほぼ無意識的にアプリを開き、目的なきままスクロールするだけで基本的には自分の見たいものが流れてくる各SNS媒体。各社の策略にまんまとかかり、ただ時間を吸い取られている現代人はなんて不幸なのだろうと、個人的に日々悲観しております。
雑誌は、その情報のキュレーション、そして情報をどう表現するかに、多くの時間がかけられ編集されたメディいだと思います。各雑誌によってそれぞれのテーマ性を持ちながらも様々なジャンルを軽やかに横断する。口語でも文語でもないが、人格が宿ったようなあたたかな文体に心が躍ります。
思わず読みたくなる仕掛けがありながら、読みたい場所のみページをめくることで主体的に情報を拾いにいくこともできる、雑誌は中動態的なメディアなのではないかと考えます。
情報取得の意思選択を容易に手放せて、ただ機械的にスクロールに走る、フィルターバブルに囚われる。といった目の前に当たり前に広がるディストピア的なSNSとの付き合い方を、多くの大学生がインテリアにしていると回答した「雑誌」をなんとなく読んでみることで、今一度考え直す機会になればいいのになと、心から思います。雑誌を出している出版社としては「読まない」とはなんとも寂しい限りです…。
でもある意味納得というか。webメディアと紙の雑誌の編集両方経験して感じた両者の違いは、雑誌は「モノ」なんですね。「モノ」としての価値を高めないと厳しくなってきています。「表紙売れ」がその最たる現象かと思います。
表紙が誰かによって売れ行きが左右される側面があり、「推し活」で1部は閲覧用、1部は保存用に一人の人が2部購入するケースもありますよね。
インテリア用といえば、紙の本もそうした側面があるようです。インテリア雑貨として、本の表紙と背表紙だけで中身はない”似非書籍”(中のぺージは真っ白の紙、もしくはページ風にみえる作り物)が売られています。私がたまたま目にしたのは、ルックス重視の”洋書風”の雑貨でした。言われてみると、確かに雑誌は購入したことがないです…今はSNSやインターネット上で情報を得ることもあり、雑誌の役割がインテリアに変わっているのは興味深いです!