とっても不思議な一神教:現代的な神学・政治論のすゝめ
コメント
注目のコメント
現在パレスチナで起きている「神」によって与えられた土地をめぐる戦争。そこには原理主義的なユダヤ教、キリスト教、イスラム教が絡んでおり、これを理解することは、宗教文化や価値観が大きく異なる日本という場所に住むわたしたちには簡単なことではありません。そこで今回の「宗教とグローバル社会」では、少し大きい視座から、一神教的な価値観と日本的な感覚の違いに注目していきます。とくに「死後」「聖典」「共同体」という三つのキーワードに光をあてて、この違いに迫っていきたいと思います。コメント欄にご質問などお待ちしております!
お書きになった事は、イスラエルの動きの背景、それに対するアメリカの指示を理解するためには、意味を持つでしょう。
ただ、お書きになった事でパレスチナの行動を理解する事が出来るか、も論点です。そこはどうお考えですか?
宗教を私的領域に押し込めた、公的領域における国民的宗教の創設には失敗をしたと日本の過去を認識して語ることにも違和感はありません。ただ、その違いが一神教が根付いていないからなのかは、より厳密に議論をすべきではないでしょうか。日本の死生観が死者との繋がりを残すものになったのは、一神教の有無が理由でしょうか?若い頃は色々考えてた事はありますが、自分の頭では手に負えないなぁ〜というのが結論。これが思考停止ってヤツか・・・
思考というものは、ただ「あってあるもの」と言うしか無い。
動植物の肉体という物質が、生命を持ち生まれては死んでを繰り返して今があるわけで、先は分からない。
膨大な数の生と死が繰り返されて現在に至っている。
その過程には色々詰め込まれていて、良くも悪くも現状が現実となっている。
喜びも悲しみもみんな夢の中。
どんな夢を望むかは、それぞれだけど相入れない状況となると悲しみの増大を招く。少なくとも「人」は「共存共栄の道」をと思います。追い詰められたら抵抗力を増大させるしかなくなる。