【糸井×為末】学ぶ前に遊ぶ人が「熟達」にたどり着ける
NewsPicks編集部
258Picks
コメント
注目のコメント
本連載は、人間の熟達プロセスには一定の法則がある、という為末さんの仮説から始まっています。私が重要だと思ったのは、第四段階の「心」。「中心だけ」を掴むという感覚は、あらゆる面において大切だと感じます。
例えば、キャリア。自分という人間の「中心」さえ把握できていれば、多くの選択肢から最適なものを、迷いなく、無理なく選び取れます。無論、自分自身の「心」を把握するのは難しい。掴めたと思ったら違った、という試行錯誤含めて「熟達」は奥深いテーマです。「こうして余計なものまで見るということが観察の醍醐味で、“副作用”と表現しています。」なるほど。細かいところまで見るやり方もありますが、余分なところまで見るという「観察」もあるのだと気づかされました。
ちなみに、アメリカで子育てをして痛感したのは、小学校レベルだとサッカーでもバスケでもまず試合から入ること。大体土曜に試合があって、そのあとに週1とか2とかで練習をしました。面白いと思わなかったら必死に練習しないって、あたりまえと言えばあたりまえなんですが。とても興味深い対談でした。
趣味もスポーツも仕事も確かに最初は楽しいから夢中なっていてまさに『遊』から入る。そこから型を学び確立しより高みにいくためにいろんな人や行動を観し、そこから本質を学ぶことで心となり最終的には達観し空となる。そこまで辿り着いた人は達人や究めた人、ということになる。
改めて自分に置き換えると、まだまだ型すらできてないなと反省。その前の遊が足りてないからかな。
為末さんの本、買ってみよう。