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阪急の小林一三氏、東急など東京企業も支援 その足跡 - 日本経済新聞

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  • かんたん 代表取締役

    小林一三さんは、日本のビジネスマン全てに深く知ってほしい人です。
    彼は世の中を良く見て「需要を作り出す」ことを事業の肝としました。

    創業当時の大阪は環境汚染が酷く人口も密集し、出生者1に対し、死亡者
    1.1の惨状でした。経済衰退が間違いない場所でした。

    環境が良く空気が奇麗な郊外に住宅を作れば、その場所へ電車という移動
    手段があれば需要が生まれると考え、阪急が生まれました。都心に通う人
    だけなら、電車は片道だけ埋まり反対方向はガラガラゆえに、都心から人
    が行く目的地の温泉・遊園地・劇場を作って需要を作りました。宝塚です。

    通勤需要の無い昼の電車は空くので、都心の終点に主婦が通う百貨店を
    作りました。阪急百貨店です。

    昭和恐慌が起きた昭和2年、東京電力の前身の東京電燈は破綻危機でした。

    社長のM&Aや私物化で日本最大の借金にあえぎ、大量の外債が金解禁に
    よる円暴落で借金が増え、ライバル5社の競争でダンピングが激しく、
    恐慌による需要の低迷なのに、大会社ゆえに社員は傲岸不遜でした。

    三井の池田成彬から送り込まれた小林は東電営業部長として、電球・照明
    器具を店頭に置き、事務方社員を営業にシフトしました。売上貢献もさる
    ことながら、これまでありがとうございますとさえ言えなかった東電社員
    の意識改革を計りました。そして、電気料金を月払い制にするという今の
    安定収入スタイルを始めました。

    需要が無ければ作ればよいとして、電力を大量消費する化学肥料会社、
    アルミ会社を設立しました。昭和電工や日軽金はこうして誕生しました。
    昭和8年に社長になってからは金融問題も解決しました。

    日本の電力会社は、ライバル5社の競争をカルテル化によって解決して
    味をしめた松永安右衛門によって現在の9社寡占体制が決まり、日本の
    電気料金は割高なままの百年です。小林は商工大臣も努めましたが、軍や
    CIAと密接な関りを持つ部下に手足をもがれていました。

    小林一三が生きていれば、知恵を絞った需要の創造で電力利用を増やして
    料金も低下させて経済成長を促進していたと思います。そうなっていれば
    世界の多くのデータセンターが日本に集中し、AI、IT競争も日本が
    リードしていたことでしょう。


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