少子化対策の財源「社会全体で」68%、手当より環境整備を重視…読売世論調査
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調査結果はこちらですね。
【読売新聞:2023年7~8月 郵送全国世論調査「少子化」質問と回答】
https://www.yomiuri.co.jp/election/yoron-chosa/20230928-OYT1T50259/
昔から感じている疑問の一つに、『人はなぜ責任の追及ばかりするのだろう?』があります。
別記事にもありますが、何かあると『〇〇のせい』という記事やコメントが多い。誰かに責任を押し付けたところで状況が変わるわけではないのに。
むしろ、この無意味な責任追及と過剰な批判が担当者を萎縮させ、過剰なリスクマネジメントに走った結果、『何もできなくなってしまう』ループに、いい加減、読み手も気づけば良いのに…と、様々な調査ニュースに対するコメントを読みながら感じました。
政治家にしろ、行政職員にしろ、社内の部下にしろ、配偶者にしろ、こどもにしろ、他人様は批判して改善を求めても、良いことは何一つないわけで。
相手は反発、自分はストレスしか生まれない。
そうではなく、良いところは評価しつつ『こうしたらもっと良くなると思うけど、どうだろう』くらいの提案型で話をしつつ、その後の相手の行動は片目を瞑って生温く見守る。
結果、うまくいったら喜びながら相手の尽力に感謝して、サービス業の方々が使う『さしすせそ』で持ち上げ、うまくいかなかったら伴走しているフリをして新たな提案をすれば良いのに。
叱るのは、あまりに相手が図に乗った時だけ。
25年以上前仕事で関わった明治大正の女性は、これをとても上手にする人が多かったです。今は、これができる人が少なく、結果、不寛容な社会になっているから未来も明るく感じられないかもしれないのかなぁ、と思いました。
接続詞直しました。
※さしすせそ:さすがです/知らなかった/すごい/センス良い/そうなんだ少子化担当相がおかれて16年経ちます。民主党政権含めて何かこれは凄い と言う異次元の政策出てきましたか?
政治の無作為が現在の日本の少子化を作ったとも言えます。
例えば小泉元首相が行った郵政解散のようなsingle issue のように 移民政策をやるかやらないかぐらいの事態が差し迫っていると思いますが。増税で少子化対策するのは、子供産もうとする世帯の手取りも減るので、マインド的にはマイナスなのでは。
個人的に「社会全体で」とするより、この層から財源を取ります。と言った方が潔いのではないでしょうか。
全体からと言っておけば、敵を作ることもないので、一見すると支持は得やすいように思いますが、財政の使い方の見直しもしないで、財源が足りないから全体から取りますというのは、あまりにも納得がいく方法ではない気がします。
まあ、ここの財源を減らしますと言えばそこからの風当たりは強いでしょうし、国債を出しますと言えば国債反対派からの意見も出るでしょう。
しかし、政治というのはある種、一部から嫌われても、必要な政策をやり抜くというのがあるべき姿なのではないかと思うのです。