インド、国名を「バーラト」と表記 G20晩餐会招待状が物議
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戦時中の日本が大東亜共栄圏を想起させる国名に変更するようなもので「バーラト」には周辺国に対する歴史の同化政策的性質がある点に付き
ご使用の際は場面を選ばれて下さいませ。"Akhand Bharat"でググれば「統一インド」というヒンズー至上主義が掲げる思想が周辺国との摩擦を生んでいる記事が出てきますから。
注目のコメント
「インド」というのは、英語だとIndiaですが、これは古代ギリシア人が、アレクサンドロス大王とかも到達した地域を「インダス」と呼んでいたのが、ヨーロッパで広まったものです。
「インダス」というのは、サンスクリット語でいう「シンド」、「川」という意味の単語から来ています。
Indiaというのはサンスクリット語から来てはいますが、インド全体の呼称というには無理があります。
一方、「バーラタ」というのは、紀元前からサンスクリット語でインド内の広い地域、特に北部を指して使われてきた言葉です。
もともとは「(アグニ神の火の)運び手」といった意味合いがあり、バラモン教、ヒンドゥー教と深いつながりがある言葉です。
インド全体を意味する言葉、というのは、歴史的には無い、というのが実際のところです。
インド全土を統一したのは、19世紀の英国です。それ以前のムガル朝(ペルシア語が公用語のイスラーム勢力)の実質支配地域は限られていました。
英国が、もともと統一されていなかった、ヒンドゥーもムスリムもシークもキリスト教徒もいる直轄領のことを、Indiaという、もともと「川」という意味でしかない言葉で名づけ、近現代的な「インド」の概念が誕生しました。
今のインドを表す言葉は、19世紀に英国が使ったIndiaが妥当でしょう、つまり、19世紀に創造された非常に新しい共同体の概念です。
これは、ヒンドゥー主義のインド人民党ならずとも、世界最古の歴史を誇るこの国をそのような19世紀の英国製の共同体として理解するのは、受け入れがたいことです。
「バーラタ」を現代のインドに住む人々を包括する新しい概念として人民党が再創造できるならよいのです。紀元前の古典に出てくるそのままの意味で「バーラタ」が今もここにあると言い張るのであれば、ただの言葉遊びでは済まなくなります。インドのメディアには、頻繁に英国による植民地化の責任を問う記事が掲載されます。インドに出張して普通のビジネス向け新聞読んでるといつも見ます。歴史上の偉人に愛人がいた、奴隷を使っていた、などとして見直しが進んでいますが、過去の植民地支配にも見直しの機運が広がっています。コロンブスはもはや偉人ではなく虐殺者に変わりつつあります。このニュースはその流れに位置付けられると思います。