Vol.69 「尊敬」は批判の後に現れる/『本を読む本』
「この一節」から考える読書対話
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注目のコメント
どうしても他者の思想に寄りかかりたくなってしまう、怠惰な自分への戒めの文章を書きました。
批判というのは、概念の縁取りをすること。
だとするならば、僕たちはもっと批判をしなくてはならない。
その先に、本当の「リスペクト」というものが現れるのだと思います。
今回引用したのは、『本を読む本』でした。尊重というフラットな姿勢なくして、縁取りをするような見方、読み方はできないのかもしれません
批判にしろクリティカルシンキングにしろ、評価する言葉にはどこか上から目線を感じられてしまいがち。精査もそう、だけど精読なら大丈夫そう
相対化とか比較くらいなら、角が立たなくていいかもしれませんこの「誰かにすがりたい」という気持ち、とてもよくわかります。多かれ少なかれ誰の心にもそういう「誰か」がいるのではないでしょうか。
科学や宗教だって、「誰かがこれ(物理ルールや社会規範など)を作ったはずだ」というのは、割と共通した感覚なのではないかと。
としたときに、人間ってどうしてそういう「誰か」を想定する、あるいは、求めてしまう、んですかね?
自分は誰かから「生まれた」存在である、
社会に遅刻してきたのである、
ということなどを、
自己の身体を通して潜在的に学習することで、
「先にあるものは誰かが関与している」、
と類推してしまうため、なんでしょうか?
世界(地球や宇宙)は、人間なしに生まれて、人間なしに終わる、って言われたときの寂しさに耐えられないから、そう考えたい、のかな。そう考えると、生き物としての人間たる所以が、この「尊敬や憧れ」なのかもしれないですね。