人種問題だけじゃない…『ファイナルファンタジーXVI』が国内外で“賛否両論”を呼んだ“納得の理由”
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注目のコメント
物語の中で差別を描くことと、現実で差別を行うことは、全く別のことです。
そして、物語としてであれ世界に差別が存在することを描いていくことは、まるで世界に差別が存在しないかのように何も言及しないより、ずっとましなことです。
「あの作品の登場人物は差別をしているから、あの作品は差別をしている」というのは、現実と物語の区別がついていない時点で、的外れで、幼稚な主張です。
FFは「ファンタジー」ではありますが、(たぶん『Ⅶ』から)現実にも起きている、多くの人々が目をそむける問題を描いてきました。
ディストピアといってもいい、民間軍事企業の巨大化、人工的につくられる人格、巨大な権力に踏み潰される下層社会の人々、それらを描くのはゲームの物語を優れたものにしており、差別を肯定しているわけではありません。
むしろ差別の根深さについて、世界中の若い世代に警鐘をならしてきたとすらいえます。
クリスタルが原子力発電の比喩になったのは、『零式』からでしょう。
『零式』は、とりわけディストピア感があり、大国の侵攻に対する少年少女兵たちの全滅にまで至る抵抗戦です。召喚はどう見ても大量破壊兵器にしか見えない規模にまでなっていき、召喚と引き換えに即死する「バフムート隊」という自爆攻撃専門の少年少女部隊まで出てきます。
そういう現実にも起きている悲惨さを描くことは、物語を優れたものにするし、現実の問題をプレイヤーに突きつけもします。
これがだめなら、原爆の悲惨さを描いたようなフィクションもだめ、ということになります。面白かったどうかの感想はないんだwww
こういうのって、しっかり差別問題に取り組んで作品ないので解決策を提示したところで、
「世界はそんなに単純なものじゃなく、さまざまな問題が複雑に絡み合っている。今回の解決策は物事を単純化させてみてしまう危険性があり、両手を上げて賛同することはできない。」
みたいなこと書かれるんでしょ?
モノづくりってすごい息苦しいね。
って思えてくるわ。本作品は面白かったですよ。
単純明快な冒険活劇ではないですが。
この記事の感想ですけど、典型的な逆張りかエアプ記事だと思いますね。
主人公のクライブは被差別階級のベアラーを見て見ぬふりするどころか積極的に手を貸しますし、
大陸にいる”ベアラー救出”の協力者のために色々やってます。単に「亀を助ける浦島太郎」のような描写ではないだけです。
あと、序盤は本人もベアラーなので余計な手出しが出来ない。というだけですし。
マザークリスタルに関しても「何故破壊するのか」という理由がちゃんと作中で語られます。
別に「なんとなく平和の為にならなそうだからマザークリスタルを破壊しよう」ではなく、
仮説ではあるもの主人公たちには根拠があって破壊する流れになっています。
それに同意できるかどうかはプレイヤー次第ですが、投げっぱなしで主人公が正義として振る舞っているわけではないです。