夏休みの宿題、生成AIに作らせるのは「不正」 文科省の指針案判明
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時代が変わりました。これまでの宿題、これまでの教育からみればAIにやらせるのは不正。わかります。が、これからの時代、何が正しいのか、どういう教育が求められるのか、どう変わるべきか、という宿題が学校・先生がたに課されていることを認識していただきたい。
夏休み前に方針が分かり良かったです。現場の混乱を考えれば、やや慎重になるのは致し方ないことです。しかし、中高生には宿題以外でいろいろ試して欲しいですね。子供たちの将来は、生成AIをパートナーとして生きていくのですから。
子供をルールで縛って、言うことを守らせようとするアプローチがよいのでしょうか。ダメ、ダメ、ダメ、というと余計にハックしようとしますし、言われても平気でルールを破る子供も当然一定出てきてしまいます。そもそも「なぜAI利用がダメ」なのかと言うことを、大人ですらまともに説明できる人が多くない中で、本当に利用NGと考えるなら、「なぜダメなのか」と言うことをしっかり教育することが大事なように思います。
メリットデメリット、リスクリターンをちゃんと理解すれば、宿題にしても、校則にしても、性教育にしても、多くの子供は理解するし、すぐに理解できなくても成長と共に理解する人が増えるものだと思います。子供は本当に賢い、大人よりも利口だという前提で対等に接するなら、説明こそが最も大事なアプローチかと思います。
宿題の穴埋めをしてアプトプットを生成することが、宿題の狙いではなく、宿題の中で、思考をめぐらし、経験し、脳トレすることが、狙いなんだよと言うことがわかれば、その機会を放棄して良いか皆考えるはず。それでもAI「も」活用したいという層は一定出てくると思いますが、それは大人が期待する利用方法そのもので、AIの考えや情報も活用することで、自らの思考のチェック、思考の進化、アウトプットの質の向上と言えるのではないでしょうか。
実際、AIを活用したかどうかを申告制にして、当然虚偽申告もあるでしょうが、宿題に関して、いくつか質疑して対話すれば、本当に理解が深まっているのか、思考が深まっているのかはすぐにわかることだと思います。それがわからないぐらいAIの思考を取り込めているとするなら、それはそれで能力だし咀嚼しきっていると言う意味で、学習プロセスとして否定するものではないようにも思います。