【最新研究】私たちがわざわざ「悲しい音楽」を聴く深い意味
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”私たちが悲しい音楽を好んで聴く理由とは、悲しみを味わうためでなく、他者とのつながりを感じるため” とあるが、
SNSなどで負の感情も含め自由に発言する人がいる一方、年々感情コントロール、自制することが暗に求められ、ちょっとした文句も言えず、悲しい事を悲しいとも吐き出しにくくなっていると感じることがある。音楽を通して、感じてはいけないと感じる感情を素直に味わい、自分の中のマイナスを肯定しながら感じられる生きる為に必要な行為なのかもしれません。このThe New York Timesの記事は、人間は日常で悲しみを回避しようとするのになぜわざわざ悲しい音楽を聴こうとするのか、一見逆説的な行動について、最新の研究から解説しています。
悲しい音楽には聴き手のネガティブな情動を浄化する作用があったり、悲しい音楽を通じて共感や思いやりをもつメリットがある。記事によると、悲しい音楽を聴くのは、悲しみを味わうためでなく、それによって引き出される情動による共感によって、「他者とのつながり」を感じるためだそうです。
音楽、映像、本、写真、舞台などの芸術の力を改めて考えさせられました。
時に悲しい音楽を聴きたくなる時もあるからこそ、明るい弾ける音楽の味わいも深まるのかもしれません。複雑な事象に無理やり何とか結論を出したような記事でしたが、視点は大変面白かった。
思うに、最近は心が安定し切っていてそれほど必要では無いが、若い頃ジェットコースターみたいに感情が上がり下がりしていた頃には、音楽の必要性が切実だった。
それを思い出すと、単に「何かに共感さている」というより、「そう、そんなふうに俺は今辛いんだよ」と「分かってもらった。おんなじ落ち込みの感性がここにあるわ」と「共感してもらった感」が、近いかな。
例えば最高度に落ち込むと、John Lennonの「Nobody loves you」を聞いて、助けられていたな。何度も何度も。
昔の話です。