【孤立の社会学】日常に潜む「人とのつながり」を断つ要因
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「孤独」は社会学の古典的なテーマです。
フランスのデュルケームが1897年に『自殺論』を刊行して、工業地帯では農村よりも自殺率が高いこと、そして工業地帯でも自殺率が高いのは、農村から出てきてそれまでのような共同体に属さずに共同体への帰属や規範を失った(アノミー状態)工場労働者たちである、ということを統計によって検証しました。社会学を確立した基礎の1つといえる記念碑的研究です。
米国でも1950年にリースマンの『孤独な群衆』が刊行されました。
米国の人間関係がマスメディアによって変わりつつある、という話です。流行や規範、育児法などまで、人々は地域社会や職場の同僚、あるいは家族でさえなく、マスメディアから影響を受けるようになっている、という話です。
社会学だけではなく、メディア論、コミュニケーション論の古典です。
「孤独」が論じられる時、だいたい新しい技術のせいにされます。
工業化が悪い、マスメディアが悪い、この記事だとソーシャルメディアが悪い、とされています。
そして、多くの場合、「孤独」への処方箋として、昔の共同体や昔の技術(手紙とか)へ回帰することが勧められます。
ソーシャルメディアが大学生を本当に孤独にしているのか、については、少なくとも教壇から観察しているよりは、統計的に検証した方がいいでしょう。
新しい技術は、確実に人間関係のあり方を変えます。
それは、古い人間関係が失われていくことであり、かつてはありえなかったような新しい人間関係が可能になる、ということでもあります。
結局のところ、ケースバイケースで、私のように友人といえる人間はほとんど外国にいるし、それは技術によって可能になった、というケースもあるでしょうし、自分の大学内に友人がいないと不安、という人間もいるでしょう。
確実なのは、個々の人間がどう感じようと技術は人間の関係のあり方を変えていくし、数十年もすれば人間が技術に適応していく、ということです。コロナによって多く高齢者が社会的に孤立に追い込まれ、学生も約3年間自由な交流を奪われました。これは、コロナが与える3つの影響(医療、経済、社会)のうち、社会への影響を意味します。
オンライン上でのコミュニケーションが代替方法として考えられましたが、テレワークの難しさや、SNSによる孤独の助長などによって、オンラインのコミュニケーションでは全てを代替できない様な考え方が広がっています。
この記事では、デジタル化によって若者が孤立して行く理由と様子が記載されておりますが、うまく使えば広く多くの人と繋がれる一方、オンラインだけで生きてしまうと孤立が進んでいってしまうという点については同じ考えです。
デジタル化によって失われた様々なプロセスを見返す時期が近づいているのかもしれません。若者の79%が孤立、孤独を感じているとは。その原因はコロナパンデミックにあらず。ソーシャルメディアにあるとのこと。そしてワイヤレスヘッドフォンにも。若者は殻に閉じこもって自分の世界に没入しているようです。
外に出ましょう。そして誰かに挨拶しましょう。声がけしましょう。人の声に温かみを感じるはずです。