修学旅行って必要or不要?「費用に見合う学習効果ある?」「思い出作りの押し付けでは?」の声も
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なんだかんだでいいこともイヤなことも思い出に残るし、大人になってからの話のネタにもなるし、全然あっていいと思いますけどね。
自分も小中と行って、いいも悪いも思い出ですし、高校は修学旅行が無い学校で毎日が修学旅行って感じだったとはいえみんなと旅行したかったし。
学習の一環とか難しい後付けせずに単純に楽しむ思い出作り旅行でいいのでは。費用もぜひ今なら全国旅行支援に充ててる分を一部回すとか公的な支援を入れられないのでしょうか。
注目のコメント
行きたくない/行けない人が行かない選択肢を取る自由は必要。だけど修学旅行は必要不要で考えるものじゃない。
普段学校で必要と言われることを受け身でやらされる環境で、こういう修学旅行のようなある種無駄なことを仲間と共有するという非日常の体験にこそ意味がある。
自分は中学の修学旅行、大阪からの帰りのフェリーの大広間で友達と夜な夜な騒いだことが1番思い出に残っている。教育的意義、必要不要論の前にまずは生徒目線で考える必要があると思います。生徒たちが必要ないと答えるのであればそれはそれでいいと思いますし、逆にプランや費用全て生徒に委ねるということをやってもいいと思います。
(以前の2sides で横浜創英の工藤校長がコロナ禍において生徒たちに委ねたという話をされてました。)
また、東京や京都奈良、九州といったところではなく、
地方へのエコツーリズムや農泊といった新たなスタイルも人気を博してきている印象があります。
コロナを経て、新たなスタイルが出てくると面白いなとおもいます。必要でも不要でも。肯定でも否定でもありません。
今の時代で考えるのならば「修学旅行に行くのが当たり前」と言う文化を変える必要があるのではないではないでしょうか。
行きたい人が行けば良い。行きたくない人は行かない。
これを「普通」と捉えることで、行かない人も複雑な気持ちになることはありません。
行かないことでいじめに発展することは1番あってはなりません。
経験的には、私にとって修学旅行は楽しかった思い出です。6年前の話ですが、スマホを乗り換える度に写真は引き継いでいるので、今でもスマホに写真は残っています。にしても、それとプラスして修学旅行は終わったあと「楽しかった人」「そうではなかった人」に分かれていたと言う思い出があります。
何かを学ぶためと言うよりか、毎日座って、毎日同じ生活をしている学生の「息抜き」として捉えるのはどうでしょう。