情報を捨てるには
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めちゃくちゃ学びになる記事でした。
自分で考える ということをする上で、情報が捨てられないことが妨げになっている可能性がある、という示唆。
捨てられない前提には、問題を観察するより指導者の機嫌を伺うことに集中する習慣を持ってしまっていることがある。これが文中における呪いの一例でしょうか。
情報を集めることが得意、変化に気付くことができるが、具体的に答えを出すことまでいかない人は周囲にいます。私含め‥
呪いの解除、漠然と考えていたことが言語化され、わかりやすい記事でした。
注目のコメント
とても興味深い。
人によって、情報の捉え方・気づき方や、そこからの思考の深め方は違うと思う。また、多くの人がこう捉えるというものも個別ではあると思うが、そう捉えられない時の苦しさとかもあると思う。特に「こう捉える」が一般性を持つと、そうではないケースへの説明とか教えることが難しい。
一方で、そこが違うからこそ、捉え方が適している領域を選ぶことも、個々人のキャリアとして重要。
極論だが、例えば暗算が得意と、文章題が得意と、数学が得意と、数学科に向いている、は全然違う。そこがあっていないと、本人も周囲も苦しい。
自戒も込めてPick(Satoさん、Pick有難うございます!)。「考えすぎて捨てられない」人はもしかしたらゲームのルールを勘違いしてるのかな、と思うことはあります。
たとえば現代文。苦手と言う人は十中八九「『作者の気持ちを説明せよ』なんて言われてもエスパーでもないのにわかる訳ない」というんです。もちろんエスパー力を問う設問ではなく「『文脈を読み取った上で』、『そこに示されている』作者の気持ち」を問うているんですけど…だから必ず答えは本文の中にある。本来的にはロジカルな作業なので、ルールさえ理解すれば理系の人こそ現代文が得意なはずだ、と思っています。
たとえばプレゼン資料。伝えるべきことをシンプルに、伝わるように伝えるというルールなのに、心配性な人はあれもこれも詰め込んで「で、何が言いたいの?」と言われてしまう。
あれもこれも考えてしまうのは決して悪いことではない。けれど、どう取捨選択するかはTPOによって違うよね、という話かと思います。
(…という話を部下にしなければなりません)