「ロシア→モスコビア」検討を=呼称巡る請願でウクライナ大統領
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基本的にその国・都市をどう呼ぶかは、「他の差別に繋がる」一部例外を除いてその国・都市に決める権利がある。だからこそトルコもテュルキエになったし、ウクライナの首都はキエフからキーウになった。
一方で、他国特に敵対する国がどう呼ぶかは、その国内でそうすることまで止められはしないだろうが、世界一般に通用するとは思わないほうが良い。例えば北韓とかは、世界一般に通用する呼び方では本来無い。
ちなみに北韓は韓国がDPRK(朝鮮)を呼ぶ際に配慮に欠けた呼び方を敢えてするときの呼び方であり、DPRK(朝鮮)自身は北韓という名称を認めているとは言い難い。
仮に他国が勝手に付けた呼び方が「国際的・世界一般に」通用する形として許されるなら、例えば日帝とかも今の日本は受け入れなければならなくなってしまう。日本が大日本帝国と名乗らなくなった戦後の段階で、日本は日帝では無くなったわけだが。
これは次のものと比較するとより分かり易い。例えば「東京は東の京つまり東の都を語源としているが、最早都と呼ぶに値しないし、東の基準としている京都を基準に置くこと自体、国際水準から外れるから昔の江戸という名称で呼ぶことにする」なんて他国が勝手に言い出したら認められるか、という問題に繋がる。通常は認められないだろう。実際に東京は古都・京都を基準とした際に「東の京」として名付けられた所はあるわけだが。
そして、そうした在り方が相手国更には国際的な亀裂を生む可能性も理解しないといけない。
特に今回、大国としては最早呼べない、という理由とされる。蔑称の原因となり得る点である。
大国かどうか、という部分は、(例えば中華思想のように)別に他国への差別を含んでいる訳では無い。この国は大国です、というのはある意味勝手に言わせておけばよい。
それを思えば、国際的に名称変更が必要な観点ではない。
ニュース知識としては大事だろうが、今後こういう言い方が浸透するとは思えないし、こう呼ぶことで相手先が国際会議演説聴取を断る、ないし国際会議の演説冒頭で中断させる異論が入る(議論として成立しなくなる)などのことになりうる。