【井ノ本脩】髪型を制限する校則で何が失われるか
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徐々に規制を外していくことが大切だと思う。
小学生のときは、染めてはだめとかでもいい。
自律性に伴い、表現する場所を与えることが大切。
いきなり全部解除すると、ゆたぽんみたいなやつが正解になってしまう
注目のコメント
G-SHOCKの商品企画を担う井ノ本さんに、「1つだけルールを変えて世界を良くしてください」と質問してみました。
お答えは、謎の校則をなくす。
たしかに、意味があるのかわからない校則ってありますからね。
話は横道にそれますが、もう20年以上前のこと。
私が愛読していた雑誌に「うちの学校の変な校則」っていう連載がありました。
今でも忘れられないのが、「プリンを食べてはいけない」という校則。
投稿コーナーだったので、ネタだったのかもしれないけど、20年たっても意味がわからない。
プリンにどんな恨みが……?NP大高さんのコメントを見て、学校の独自性を出すのは自由な校風よりも変な縛りのある校則の方なのではないかと思えてきました。
今更校則叩きをするのも何か「無難」な感じしかしません。プリンを食べちゃダメ!の校則の方が個性があって奇抜に思えます。
そこから如何にしてプリン的なものを口にするか、甘い茶碗蒸しならプリンではないのか、みたいなことを考えていると、そこにしか生まれない面白い工夫が色々と出てくる気がしてきます。この校則によって、むしろプリン的なもののバリエーションは拡がるかも知れません。笑
世の中、大して意味のないルールは沢山あるし、意味のないことに意味があることもあるし、じゃあなぜこんな意味が無いルールが長く続いているのかとか子供に考えさせるのは良いことだと思います。
他人の理解不能な宗教的慣習を受け入れる上でも、そのような経験はむしろ必要かもしれませんね。私の中高は特に校則が厳しく、髪色はもちろん髪型やピンの種類、リボンの長さまで決められていました。リボンが幅2㎝と3㎝で何が変わるねん、とツッコミを入れたくなりました。
こんな小さなことに関わらず、自己表現の場というのは持たさせてあげるべきだと思います。学生の内は最低限の礼儀を守るためにも「制服をなくすべき」とまでは言いません。だからこそ、制服以外の髪の毛や持ち物などは自由ににさせて、自己表現をする場がないと、無意識のうちに生きずらさを感じていると思います。
井ノ本さんが仰るように、唯一無二の個性を持った皆が「無難さ」を目指す世界なんて面白くないと私も思います。