先生の質を保てない 公立学校2000校で欠員、1年で3割増加
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> 戦後、日本の教育は課題を抱えながらも指導水準の高さが海外から評価されてきた。その原動力で、良質な人材が多かったはずの教員集団に異変が起きている。
教員になりたいが、免許の更新制度で諦める選択肢が多かったと思う。免許の復活含めて対応したらいいのではないかと思う。
部活も外部委託の意見もあるか、部活の指導者になりたくて教師を目指した人もいることを忘れずに不足部分を外部に委託してもらいたい
注目のコメント
「戦後、日本の教育は課題を抱えながらも指導水準の高さが海外から評価されてきた」
(@@。
化石世代のオッサンの昔話と揶揄されるでしょうが、遺言と思って”シンボウ”して古き良き時代の思い出話にお付き合い頂ければ幸いです。f(^^;
私が生徒と呼ばれた時代、ビンタを張るような先生もいて怖くはありましたけど、親も生徒も先生を尊敬し信頼する風土が我が国にはありました。先生は誇りが持てて、叱るにしてもビンタを張るにも、指導する誇りと愛情がたぶんその裏にあったはず。事実、私はビンタを張るような怖い先生に可愛がって貰ったものでした。そうした先生たちに支えられ、高等教育は世界に劣後するけど初等中等教育は世界最高水準にあるというのが我が国の自慢で、事実、算数(数学)、物理、文章解釈力等様々な分野の能力を測る国際的な試験で日本の生徒は世界のトップを取り続けていたのです。
ところがその後、日本の初等中等教育を詰め込みと批判する声が高まり受験勉強が否定的に捉えられ、果ては小中高で勉学を巡る頑張りそのものが否定されるようになりました。結果平等を求める声の中で先生と生徒の立場の違いが曖昧になり、厳しい指導が否定され、事ある毎に先生が批判されるようになったのです。先生を尊敬する風土が消え、いまではモンスターペアレントが先生を罵倒し貶めるのが日常茶飯事です。これでは生徒も先生を尊敬し畏怖するはずがありません。生徒を指導し知力と人格を磨くことに意欲を磨く若者が減るのは当然です。
なぜこうしたことになったのか。その背景にあるものを真摯に振り返ることが必要であるように思います。(・・;「教育の仕事ははかない」―明治大学の斎藤孝先生が岩波新書『教育力』で述べていることです。見返りを求めるのではなく教職に使命感や誇りを持てる人でなければ向いていない仕事だということを意味しています。文科省が昨年12月に発表した公立学校教職員の精神疾患による休職は過去最多の5,897人。記事にある欠員数2778人を大きく上回っています。実妹の勤務する公立校では昨年欠員が2割を上回り残された教員の負担も増大していると嘆いていました。「クレーム等が増え教職という仕事が重要だと思えなくなってきている先生が増えている」とは一教師としての実妹の見解でしたが、教職に使命感や誇りを持てるような環境を社会が努力してつくっていかないと先生の量さえも確保できなくなると憂慮されます。
有料の一部分を要約すると「ブラック職場の脱却には、授業中心・待遇改善・既存事業整理」とありますが、これを徹底すれば教職は変わります。
答えが見えているにも関わらずなぜできないのか?「分かっているのにできない」ここに問題があるのです。