【対談】「弱さ」を抱えてどう生きる?
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ウェーバーの形式合理性と実質合理性というコンセプトが教えてくれた、「経済の最終目的は何か?という問い。それが生産性の向上とは限らない。いま、僕たちに突きつけられている葛藤をうまく表現してくれています。トピックス「弱さ考」では、経済と人間の関係を問い直していきます。
表に出る仕事からはなかなか窺い知れない孤独や葛藤について、編集者の井上さんと記者の岡さんが対話しました。普段から「言葉」でコンテンツを作る2人ですが、収録当日はそれぞれ自分の胸の内をいかに言葉にするか長い時間をかけて考え、言い直しながら問いに向かう姿がとても印象に残りました。
かつての「強くて優秀なリーダー」を目指した自分と現在の「弱くてごきげん」な自分の対比を冷静に見つめる井上さんの観察力にはいつも驚くばかりですが、その精緻な考察が「弱さ考」で広く読まれる形になったことを読者の一人としてとても嬉しく思います。若いお二人のお話し。大変興味深く読みました。
岡さん
『私は「交換可能な存在」だと言われることが、とても怖いです』
井上さん
『岡さんが感じた「焦り」、つまり個人の価値観がそう気付かないうちに「資本主義化」してしまっているそこも一つの問題だよなと思っています』
最近の若い方の多くは競争市場で勝ち残るために、過剰なプレッシャーの中で生きている気がします。「人生の経済化」ですね。
でも、「経済」の語源を調べてみると「世を経めて(治めて)、民の苦しみを済う(救う)」という意味が出てきます。
私自身は今以上に世の中が便利にならないといけないとも思いません。競争が激化して貧富の格差が拡大するより、お互いに協力して途上国の方々の生活を豊かにしたりする方がいいと思います。人工知能も自動運転も絶対必要とは思いませんし、もっと言えばインターネットがなくなっても(最初は困るだろうけど)1年ぐらいすると慣れてしまうような気もします。
もちろん、進歩することは悪いことではありませんが、それによってメンタルを病んでしまう方が増える方が心配です。
私は既に還暦を過ぎ、あと10年ぐらいでリタイアするでしょう。個人的にはいい時代を生きさせていただいたと思いますが、若い方も同じように感じる社会であってほしいです。