国際男性デーとは?「男なら弱音を吐くな」「男は泣くな」はもうやめよう
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「男"なら"男"らしく"〇〇〇」
「女"なら"女"らしく"〇〇〇」
「男"なのに"〇〇〇」
「女"なのに"〇〇〇」
この"なら---らしく","なのに"は、言う側の主観から出る言葉。
この主観を押し付けるな、ということ。
そう考えると、共感します。
私はある本の一節をいまでも鮮明に覚えている。
中学生の時、もう43年も前になるが、元NHKのニュースキャスターで
現在はジャーナリスト、国際政治学者の宮崎緑さんの著書だ。
「男女平等とは、男女に同じことを求めるのではなく、男女の性の違いを理解
した上で、お互いを尊重し、等しく同じチャレンジができること」
(みたいな内容だったと記憶している)
「多様性の許容」とは、多様性を認めた上で、それを認めるということ、と
この40年以上ずっと思っている。
多様性を区別してはいけない、とは思わないのだが。
あっ、多様性の差別は絶対にいけません!
この話は、頭ではわかるのだが、男としての本能が、「いや、自分は男らしくありたい」と思ってしまうのだ。
”私は”「男らしい男になりたい」「こういう女性になりたい」と
主語を自分にして話すことは許容されるのだろうか?
この話はほんとに難しい。そう思う記事です。
注目のコメント
「男なら〇〇」もそうですが、「女性だから〇〇」という勝手な枠が世の中にはたくさんありますが、一番大切なことは「自分らしくいる」ことだと、つくづく思います。
「ありのままに自分らしくいたいから、こうしよう。こうしたい!」ということが一番大事であり、固定概念の不要なジェンダー枠を作らないためにも、教育の進化が大切ですね。身内を殺されたノルドの男には復讐の義務がある
復讐しなければ、そういう臆病者は社会からつまはじきにされるのさ、だから義務なんだよ
ノルドの男の
当事者の面子だけの問題じゃないからさ
平和の為に殺し合うんだ
殺人を犯した者がなんの罰も受けなかったら
世の中どうなる
殺した者は必ず復讐される
その法が厳格に守られていればみんな殺人をためらう、例外を作らないことが肝心だ
復讐の義務は全体の平和のためにあるのさ「6割以上の男性が、職場で男性に向けられる偏見に『生きづらさ』を感じている」ことが明らかになったそうです。
「男の子なら泣かないよ」「男なら弱音を吐くな」「父親は一家の大黒柱」━━。性別役割分担意識によって縛られているのは、女性ばかりではありません。
性別による役割や固定観念に縛られず、自由に生きられるように、「国際デー」は存在しているとのことです。