なぜ「テレビ」は儲からない産業になったのか?
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この原稿ではハードウェアとしてのテレビに焦点があたっているが、、
・受信すること
・表示すること
がずっとセットになっていることが壊れたのが本質。上記二つがセットになっていたのは本来おかしなことですが、テレビ以外受信するものがなかったからテレビという一つの大きな装置に既得権益が集まった。
テレビがつまらんとか、ニュースの品質が低いとかそういうのを置いといたとしても(それは所詮コンテンツのくくりの中の話)、確実に崩壊の予兆はあったのだと思う。
根本的には通信と放送の境界線がなくなったこと。これって散々騒がれてきた話。「受信すること」の価値の中心がテレビではなく、ネットを介したVoDサービスに移っていく。これは広告の文脈でも共時性の崩壊を意味している。
もう一つ、「表示すること」の価値も多様になった。高画質、高速応答(ゲームする人くらいだけど)、コントラスト、画面サイズ、画面分割、大型化、小型化。
表示することの主戦場は高画質化ではなく、(むしろそれはもはや当然のものになってしまった)、小型化(バッテリー付き)になってしまった。
結果どうなるか、
決められた時間に決められた場所でテレビを見る
という習慣は、(HWとして一体化していて、専念視聴であり、共時的であり、固有の場所性もあった)もろとも吹き飛んだ。専用HWの前に時間通りに座って見るなんて習慣そのものの方が本当は不自然だったとも言える。
もう少し未来に目を向ける。
少しメタ的にいうと、人間は場所性や共時性を伴うイベントを嫌い始めているのだ。嫌われているものは、およそ、「その時、その場所で、何かに専念させることを強要するもの」だ。だから、この強制を何か外したがる。その場所に居なくていいか、あとから確認すればいいか、専念でなくてもいいか。この3つ。
つまり、嫌われるものは3つを強制するもの。
わざわざ出社してダラダラ続く会議
出席が強要され、さらに飲酒も強要される飲み会
決まった時間に決まった場所でしか見れないテレビ
ハードウェアを中心に世界は回っていない。江戸から明治にかけて、「草履屋」は潰れ、「履物屋」は残った。
注目のコメント
コンテンツ作成にしても従来の規制を受けているTVは相対的に不利です。
単に規制が追いついていないだけとも言えますが、規制を受けない異業種参入を可能にしたITによる「民主化」がメディアだけでなく、金融、政治も含め様々なところで起こっています。テレビはあくまで多様な娯楽コンテンツの中の一つであって、多くの人が述べているとおり、情報インフラという過去の役割は既に終わっている。
その役割が終わっている(求められていない)にも関わらず、「報道機関としての正義感」みたいなもののせいなのか、報道番組の顔をした、中身は片一方に偏向した極端なニュース深堀番組を放送する。
見たくない人には不快感を与えるだけだが、一方で、そういうコンテンツは一部の人には快楽をもたらすので、ある意味では娯楽コンテンツとも言える。
つまり、本質的な問題はコンテンツの内容では無いのではないか。
放送技術的な面からのみ言えば、やはりテレビ局の作り上げるコンテンツの完成度は、ユーチューブなどで個人が作るコンテンツとは天地の差で高いというほか無い。
よって、本質的な問題は、CMやスポンサーがないと収益が成り立たないので、色々な中身や方向性、偏向性をもった番組を雑多に織り交ぜて、当該番組のターゲット視聴者が多い時間帯に時系列で放送予定を組んで電車のダイヤのように流し続けるしかない点にあるのだと思う。
その構造によって、ターゲット視聴者以外好まないコンテンツを、それ以外の不特定多数の視聴者が見てしまうことで、テレビに嫌悪感を抱く人が増えることはテレビ離れの要因の一つと言えるだろう。
また、テレビ局の作るコンテンツは【名刺】としての役割も持つので、そのたった一つのコンテンツによってテレビ局の印象が左右され、離れる人もいるだろう。
後者の要因で離れるユーザーを取戻すのは簡単ではないが、前者の要因であれば対処は比較的簡単だ。放送スタイルをGyaOとYouTubeの複合形式にしてしまえばいいだけだ。
今の視聴者は、あらゆるニュースや情報はネットから得るし、自分の考えを確立させるためにSNSを利用している。
このような利用方法は、娯楽ではなくインフラであると言えるだろう。
故に、テレビのような映像コンテンツは、既に殆どの人にとって娯楽でしかなく、だったら「観たいモノしか観ない」となるのは当たり前だ。
しかし、だからといって安直にサブスクリプション方式に変えるのは良い手ではない。
無料でも観れるが、広告を最初に観ないといけない(しかし最初に広告を観ればノンストップで番組が観れる)、サブスクに加入すれば広告が無くなるなら、観る人はいるのではないかと思う。メディアとしての役目を終えたからです。本来は真実を伝えることに価値があり期待されていたました。
ところがフェイクを用いることでプロパガンダ放送をしていることに日本国民のみならず世界中の人々が気付いたのです。
もはや人々はメディアを信じておらずメディア離れを引き起こしている元凶になっていることに、メディア関係者はいい加減気付くべきでしょう。
コロナ報道やウクライナ戦争の報道を観ててもそれが顕著にわかります。
そもそもメディアは誰の持ち物なのか、ということを改めて考え直さなくてはなりません。
保有者の都合のいいように報道されていないか。
国民世論を作り操作することができるテレビは権力者ともいえます。
そのまやかしに気付いた人からテレビを手放し始めているわけです。
製品力やコンテンツ以前の話となり、テレビで儲かる時代は終わったと感じます。