ブルーボトル日本展開の裏側 根強いファンはなぜ生まれたのか
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金言というか金マインドだらけで、お話を聞いたあとは謎のやる気に満ち溢れるいい取材体験でした(笑)
「howは委ねてくれ」って、責任が伴うし、覚悟のいる言葉だと思います。でもそれを成し遂げるからこそ成功とやりがいがついてくる。常にこのような仕事をしていきたいものですね。
注目のコメント
海外ブランドが日本に来ると、大体2−3年で撤退してしまう。
ブルーボトルコーヒーが現地でお客様に伝え続けてきたこと、ファンと共に成長してきたブランドを、どう「日本」という全く違う「コーヒー」「カフェ」カルチャーがある土地で、流行りで終わらせることなく定着させることができるか。上陸当時、そんなことを毎日考えていました。
その中で、「日本のお客様に何を伝えられるか」、「体験の結果、何を感じさせられるか」というところを事業の年間の数値目標とセットで経営陣とアラインし(WHAT)、手法論の部分はローカルに任せてもらう(HOW)という役割分担を生み出し、本国と握り、文化が違う中でも同じカルチャーを作り出すというブランドの体験設計にも重きを置いてプランを作れたことは、ブランドビジネスにとってもとても重要だったと今振り返っても感じています。
余談ですが、本文で話している三茶のカフェ作りの際に送られてきた音楽はこちらです。
Elliott Carter
https://www.elliottcarter.com/compositions/esprit-rude-esprit-doux/2番手の方、トップを支える方には必須の考えが詰まった記事だったように感じます。
企業としてみんなが同じビジョンへ向かっていることは大切。
でもそこへ向かうための個人の役割は様々で、その橋渡し的な役割の方は必見です。
社内や社外への言語としての通訳(この使い分けもなるほどでした!)と、曲やイメージから店舗の内装という具体に落としていく通訳。
その通訳の精度をより高めるためには同じ時間を共有して感覚をそろえていくとのこと。
観察眼を鍛えてスムーズなコミュニケーションに繋げていきたいと感じました。「ブルーボトルは日本の裁量権が大きく、自由度の高い経営環境が整っていたといえます。ですが、売り上げが出ていなければ事業として存続できず、本国に話を聞いてもらうこともできません」
青山のお店も好きですが、京都店はまたすばらしい。