京セラの稲盛名誉会長が死去 創業者、日航再建も指揮
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JAL再建中の稲盛さんとの思い出を少しご紹介させてください。
稲盛さんがいらした時にJALは既に更生計画を提出し、待ったなしの状態で走っていました。僕たちも昨年から纏めていた再建計画の最終化に向けて追い込んでいたところです。そして2月末頃に漸く実行プランに落とし込みました。僕が最終的な稲盛さん向けのプレゼン資料を作成し、2月末に稲盛さんにご提示したと思います。その際に僕たちは一つ大きな心配を持っていました。
僕たちの計画は膨らみすぎた固定費を圧縮して筋肉質な経営体制になるために、機体リストラ、それに伴う人員体制の大幅な変更も不可欠であるという計画でした。
一方、稲盛さんは色々なところで社員の雇用は絶対に守る、リストラはしない、と仰っていました。このプランを持っていった時、稲盛さんにどんなお叱りを受けるのだろうかと心配をしながらも、僕たちもこれしか方法はないという信念があったので、計画を変えることなく、そのまま稲盛さんにご提示をしました。
すると、稲盛さんは穏やかにこうおっしゃいました。
「これしか方法はないとあなたたちは人生をかけ言い切れますか?」
僕たちも
「はい、これをやらないとJALは生き残れない、これ以外に方法はありません」
と答えました。すると、稲盛さんは穏やかに
「じゃあ、これで行きましょう。全力で責任を持ってやり切ってください」
と仰られたのです。あまりにあっさりと了承を頂いたので僕たちは拍子抜けしました。
一方で、更生法を抜けた後の役員会で、役員がふわっとした回答をしたり、部下に答えを求めたりすると、稲盛さんは烈火のごとくお叱りになりました。役員たるもの、細部にまで責任を持て、ということです。
こうした稲盛さんのご指導から、仕事に対しては一挙手一投足に至るまで、考え抜いて、こだわって行動せよという稲盛さんの仕事哲学を学びました。
僕たちのJAL再生プランがすんなり通ったのは、おそらくもう後がない状態で僕たちが全精力をかけて細部まで考え抜いていたからかもしれません。
稲盛さんの背中からはたくさんのことを学ばせて頂きました。
心より、ご冥福をお祈り申し上げます。
全文はこちら⇒
https://newspicks.com/topics/sony-daisuke-suzuki/posts/15?ref=TOPIC_VIEW稲盛さんに初めてお会いしたのは50年前頃だ。創業当初は苦戦だったようだ。日本の企業は業界との付き合いが大事だが稲盛さんはその付き合いをあまりしなかったからだ。ところがアメリカで大手企業の競合に勝ってアメリカで売れ出しアメリカからの輸入品に京セラの機器が入ってる事が知られて日本でも売れ始めた。
利他精神を徹底していて社会を良くする事が大事だと言う事で信頼を集めた。塾生でした。たくさんの学びを頂きました。経営者として成長することが唯一の恩返しだと信じて頑張ります。
数年前、京セラへの出勤を止め、盛和塾を解散して、完全に身を引いて京都の邸宅に籠っているという話を聞き、経営者仲間の知人が半ば計画的に日課の散歩を出待ちして、いろいろ経営の相談をするという、非常にはた迷惑な暴挙に出た。
今はご自宅で何をされているんですか?と稲盛さんに尋ねたら、大好きな本を読んだり、商店街で豚玉を奥様と一緒に食べたり、ペットの世話したり、好きな歌手の曲を聴いたりして、今は今で忙しいんだ。暇な老人じゃない!と、冗談交じりに知人を一喝したという話を聞いて、経営者として良い晩年だなあと思った。
今は、きちんと振り返るほどの気持ちの整理ができずに、こんな阿呆みたいなことしか書けないが、これから徐々に存在と成し遂げたことの偉大さを痛感すると思う。
ご冥福をお祈りいたします。