【深層】ネタバレチェック・倍速試聴に見る、現代の生きづらさ
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たくさんのコンテンツが増えているので、良くも悪くも無駄が多いです。ぼくも映画を1.5倍〜2倍速速で見ますが、数字にこだわりはなく、自分にとって心地いい速さにカスタマイズしているイメージです。
タイムパフォーマンスを意識すると言うより、自分にマッチしたモノを観たい。パーソナライゼーションの1つで、楽しみ方の一つと考えています。
ポジティブな変化だと思いますけどね〜
注目のコメント
多数派になるための方法を見極めようとしている傾向はヒシヒシと感じてます。差し障りのない言葉で差し障りないコミュニケーションをするので、価値観を深めることもできていません。これらは若者に限ったことではなく、大人もです。
大学生以下であれば、日中仕事で拘束されている大人よりもコンテンツ消費にかけられる時間が多いので、そのような傾向は強くなると考えられます。最早若者とは言い難い私も、動画コンテンツを倍速視聴しています。その理由は、提供されるコンテンツの情報量の薄く、タイパが悪いからです。
だからと言って、全てが10秒飛ばしや倍速視聴ではありません。ベタベタですがローマの休日の謁見シーンやエヴァンゲリオンのエレベーターシーンなど、時間に引き込まれてしまうものは確かに存在するので、コンテンツの力次第なのだと思います。
誰もがクリエーターになって発信できるからこそ、プロに求める期待値が高くなっているとも言えますね。「普通のZ世代」は、多様性を認めているというより、自分と違う価値観の人に対して、わざわざ排除はしないけれども、関与もしないという姿勢でした。
この言葉は確かに、と思いました。自分もその傾向が強いと感じますが、同世代で「私は多様な価値観を尊重します、理解しています、認めています」と言っている人たちは大抵の場合、多様な価値観を尊重したり、理解しているというよりも存在だけを認知し、関与していないイメージが強いです。個人的には理解のためには体験すること、経験者から話を聞くこと、など実際にそちらの価値観の側にいる人に対してのアクションが必要なのだと思いますが、そのアクションを取らずに、ただ、そういった価値観を持ち合わせた人がいる、ということを知っているだけの状態を「多様性を認めている」とはき違えている気がします。確かに両者は聞こえは一緒に思えますが、アクションを起こしている/起こしていないという大きな違いがあるように思います。極端に言えば一種の排他的思考なのかもしれません。
特に性的マイノリティに対してや、「意識高い系」と「普通」の大学生でこのような誤解が起きているように感じます。「多様性の本質を教わっていない」という点は実はZ世代だけではないのでは?
ただ、誰かから教えられるものだとすると、1つの正解を求めるという罠にはまってしまいます。むしろ体験する、実感する場をどう作るかが大切な気がします。