元テレビ朝日の富川悠太氏とトヨタは、ジャーナリズムの新しい形を作れるか
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新しい概念の登場は、世の中への問いかけ。
その概念自体に、基本的に良し悪しは無いのだと思う。
そして、それが産まれた背景は尊重されるべきではあるものの、提唱者の手から離れてその時代の人や社会の扱い方に揉まれていく。
個人的には、企業人の失言や企業の不正が発生(発覚)した際に、一方的にそれらを叩く報道が多い中で、中からでしか分からない背景などを善悪の区別が無い状態で見てみたい。
逆に、企業の素晴らしい取り組みに対しての客観的な発信も出てくるのだろう。
注目のコメント
少なくとも私自身はジャーナリストを名乗ったことがありません。資格のない肩書きは、誰でもそれを名乗れる分、責任がついて回ります。富川氏が活動を始める前から「ジャーナリスト」を名乗るから、本当に真実と向き合えるのか?疑問を感じてしまうのです。
私がかねてから記者クラブを批判しているように、行政から公費で部屋をもらい、設備を借り、事務員を派遣され、IDを提供され、そして何よりも情報をいち早く受け取れる。
行政との馴れ合いで、各社似たような記事を同じように載せている人はもちろんジャーナリストではないと思います。
富川氏の今後の活躍を拝見させていただきます。
あっ!因みにトヨタ自動車関係者の間にも彼の宣言に疑問を呈する向きがありますよ。富川氏ご本人や、ジャーナリストという肩書きへの是非については、特にコメントするつもりも無い。
が、オウンドメディアのあり方にはとても興味がある。
テレビがどんどん中身の無いメディアになっていくなかで、とはいえ何かしらの情報の編集役がいないと、溢れる情報に溺れてしまいそうになるのも事実。
私企業が自社プラス周辺の情報を網羅したオウンドメディアを持ち、それを特に私見を入れることなくアグリゲートする存在ができたら、とても有益な情報源になるのになぁと思う。
それこそ、IRした会社や団体・個人が、情報に対してより高い信頼を得る一方で、その評価は受取り側に求められる。そうすれば、現在のようにニュースメディアやコメンテーターに振り回されることなく、もう少し自立した国民になるのでは?と期待もしているのだが、どうだろうか。元テレビ朝日の富川悠太さんが、トヨタ自動車所属のジャーナリストという肩書きを発表したことで、業界の方々から結構な批判が集まっているようですが。
なんとなく発表の細かい所を見てみると、案外本気で企業所属のジャーナリストの新しいカタチに挑戦しようとしている可能性もあるんじゃないかなと言う気もしたので、希望含みで記事を寄稿してみました。
個人的にも、ジャーナリストという肩書きは、敷居が高いのもあり、なんとなく批判もされそうなので、ITジャーナリストという肩書きとかテレビ局側が希望しても断ってきたりしたんですが。
そろそろ日本の記者クラブ的なクローズドなジャーナリスト論争は、次のフェーズに移るべきタイミングなんじゃないかなという気がしたりしています。